お知らせ
「女子栄養大学出版部90周年記念企画 『栄養と料理』テーマの変遷」展示中(2026年3月23日まで)

本学園の創立者 香川昇三・綾 と学園の歩みを展示しています。是非ご見学ください。

室長よりご挨拶

この記念展示室は、栄養学研究の発展とその実践・普及に一生を捧げた学園創立者、香川昇三・綾の生涯とその事業を紹介するため、平成13(2001)年に開設いたしました。

昭和8(1933)年、東京帝国大学医学部でビタミンや脚気の研究をしていた昇三・綾は、栄養学普及のために、「家庭食養研究会」を創設しました。入会希望者が増え「女子栄養学園」と改称し、全国から入学者を迎えましたが、戦火で校舎を焼失、続いて学園主 昇三の死、戦後の復興と多くの困難がありました。栄養教育人材の育成、女子教育と女性の自立を目指して「食と健康」の総合学園を建て上げるまでの歩みを紹介しております。

多くの人々が生活習慣病で悩む今日、栄養学の重要性は予防医学の観点から益々大きくなっております。食育基本法が制定され、国を挙げての取り組みとなりましたことにより、皆様の健康の増進と豊かな食生活のお役に立つことができましたら幸いに存じます。

企画展示のご案内

2025年度 第25回企画展示 
女子栄養大学出版部90周年記念企画 『栄養と料理』テーマの変遷

香川明夫 室長より 

本学園では、1933(昭和8)年から科学的根拠に基づいた栄養や調理・料理の学びが行われていました。その講義や実習の様子をまとめた冊子に、本学園が目指した「栄養と料理」と名称をつけ、「講義録」という形で残しています。

家庭食養研究会当時それぞれの分野の専門家にお越しいただき、身体のこと、食べ物のこと、調理のこと、食文化のことなど多様な視点から教育が行われ、それが記事となりました。この『栄養と料理』を一般のかたも入手できるようにしたことにより、当時課題となっていた「脚気」の罹患者数の減少に貢献しました。まさに、「食により人間の健康の維持・改善を図る」という建学の精神につながる活動でした。

その『栄養と料理』が創刊90年を迎えました。時代は変わりましたが、食の課題はその時々に必ずあります。それらと真摯に向き合い、解決につながるような情報を、100年、さらにその先も本誌を通じて発信してまいります。

90年間に『栄養と料理』でとり上げてきた話題の変遷を味わっていただければと思います。

過去の展示はこちらをご覧ください

香川昇三・綾の足跡

香川昇三 
1895年香川県に生まれ、東京帝国大学(現東京大学)医学部卒業後は同大第一内科学教室で内科学および栄養学の研究に従事するとともに、同大附属医院に勤務していました。また同大医学部講師として内科学食餌療法学の授業にあたり、治療食餌を入院患者に供給するために同医院に設立された特別調理所の監督と患者食の研究を行っていました。第二次世界大戦中に疎開先で急逝しましたが、最期まで学問の人であり、誠意の人であった創立者香川昇三の「栄養学を象牙の塔に閉じ込めず、すべての人の健康増進に役立てるために、研究と実践を重んずる」という精神は、現在も学園に引き継がれています。

昭和初期という時代の中で、医学者としての昇三がいかに生きたのか、当時の様子を伝える資料として、昇三の論文、随筆、俳句などが載った同級会誌「香橙」の中にたどります。

香川綾 
1899年和歌山県に生まれ、東京女子医学専門学校(現東京女子医科大学)卒業後に入局した東京帝国大学医学部島薗順次郎教授の第一内科学教室で、のちに夫となる香川昇三と出会いました。昇三とともに、当時日本に蔓延していたビタミンB1欠乏が主因で発症する脚気治療の研究に取り組むなかで、栄養と健康との関係性を目の当たりにし「命の源は栄養にある。正しい栄養知識を広め病気を予防することが自分の使命だ。」と考えるようになります。

すべての人が健康で幸せであるように、その願いをもとに栄養学を身近な食生活として多くの人に普及させるために尽力しました。レシピを表記した「料理カード」、統一した分量普及のための「計量カップ・スプーン」、バランスのよい健康食のガイドラインを示した「四群点数法」。今では当たり前になっているこうしたツールの普及がいかに大きな功績であったのかを、それらの変遷とともに振り返ります。