令和2年度 食文化栄養学実習

平野覚堂ゼミ■ビジュアル・コミュニケーション研究室


心の瓶を可視化する


 私達は日々、何かを感じながら生きている。喜びや哀しみ、怒りなど。人はこれを心、感情と呼ぶ。心は人それぞれで、鈍感であったり、敏感であったり。単純であったり、複雑であったり。しかし、何を持って鈍感・敏感などと言えるのかと問われれば、答える事は出来ない。何故なら見えないからだ。数値化が不可能な為、比べようがないのだ。そんな見えない存在である心は、誰しも持ち合わせており、探り合いが行われている。世の中では、自分の本当の心を偽って人にみせる・表している人が多いではないだろうか。本当は悲しいと感じているのに、笑顔を装ったり。本当は良いと思っていないのに「良いですね」と称賛してみたり。大丈夫じゃないのに「大丈夫」と言ってみたり。本当の心をみせる・表す事で「嫌われてしまうのではないか」「叩かれてしまうのではないか」と思い恐れ、つい取り繕ってしまうのだ。「心は見えない」からこそ、他人に敏感で臆病になってしまうのだ。そして、ふとした瞬間に本当の事が言えなかった事を後悔をしたり、ため込んでしまったりする。後者の方では、それが積み重なり人は心がパンクし、病んでしまう事がある。心を偽り、探り合いをする日々に疲弊をしている人も多い。私は、本当の心の在り方についてもっと考えるべきだと考えた。心とは見えないものである為、考える事は難しい。しかし、見えないからこそ自由に考えたり表現をする事ができるのではないか。私は考える際に、可視化する事が必要だと考えた。考えるだけではなく実際にものとしてみる事で、気づきが生まれるであろう。「心は一体何で出来ているのであろうか」と考えた時、在り方や繊細さから、それはまるで瓶のようだと考えた。私達は日々、外からの刺激に大きな影響を受けている。その刺激を受けた際に、心の器に何かが注がれ感情を織り成している。その器として「瓶」の存在。瓶と食材を使い心を表現していく。