令和2年度 食文化栄養学実習

向後千里ゼミ■特任教授


夕顔が今も富士山麓で食べられているりゆう
~御師料理の保存と継承~


【はじめに】現代の日本は、「和食」が無形文化遺産に登録され「観光」など多くの分野で注目を集めている。その一方で、日本人の「和食ばなれ」が問題視され家庭での和食文化の存在感が薄れつつあることも度々見受けられる。食材においても、昔は食べられていたけれど今は食べられる機会が減少している食材があるのではないかと考えた。そこで、江戸時代には一般的に食べられていたものの、現在は私の出身地である新潟、長野、山梨など特定の地域でしか食べられていないウリ科の「夕顔」を研究テーマにとりあげる。
【御師料理と夕顔】「夕顔」は文字通り夕方に花開き、朝にしぼんでしまう夜の花で、形状は丸型と長型がある。丸型は主に干瓢用で巻きずしの具や煮物に使用され、長型は食用で煮物や漬物など地域によってさまざまな調理法がある。現在、富士山北麓の御師料理の中の代表的な食材の一つとして、夕顔が食されている。日本一の標高と美しさを誇る富士山の雄大な自然環境の恩恵をうけている山梨県富士吉田市は富士山の麓、標高約七五五〇mにある高原都市である。江戸時代には、爆発的人気を博した富士講の人々を富士山の神仏へと導き、富士山参詣者の宿泊や食事の世話をおこない、集落の食材とおもてなしの心、信仰にもとづいた神人共食の料理による食文化が特徴である。富士吉田市内には、その「富士山信仰」「富士講」の歴史を垣間見る史跡や神社などが残っている。江戸時代から大正時代の夕顔の歴史を紐解き、文献調査、御師や関係者へのヒアリングを中心に研究を進め、富士吉田市との関係についての調査分析を行う。本研究を通して、富士吉田市の食生活文化と夕顔の理解を深め御師料理の保存と継承につなげていきたい。