令和2年度 食文化栄養学実習

向後千里ゼミ■特任教授


鎌倉往還が結んだ富士山の食文化
~御師料理の保存と継承~


 「あなたは御師をご存知ですか?」御師とは各地で信仰を支える人たちで、私はその中で山梨県富士吉田市に残る富士山北口御師をテーマに食生活文化について調査している。富士山北口御師は富士山参詣者の宿泊や食事の世話をはじめ、神職者として富士山信仰を中心とした地域の年中行事や神事を長年支えている。富士山御師の家で作られる御師料理は富士山に育まれた自然観や生活感から生まれたもので、銘々膳にご飯、汁、お菜が並ぶ伝統的な一汁三~五菜の本膳料理の形式を基本にした食事様式である。そして、欠かせない食材として魚があげられる。1185 年に諸国を結ぶ街道として整備された鎌倉往還によって三浦半島の三崎漁港から魚が運ばれ、また、富士吉田市に近い静岡県沼津市からも魚が運ばれ魚食文化の形成に大きく関わったと考えられており、私は静岡県出身のため富士吉田市の魚食文化と静岡県のつながりが気になり、御師料理の中でも魚について詳しく研究をしている。
 富士吉田市は海のない山奥だが、どのようにして海の魚が運ばれたのか、また、どのようにして食べられていたのかなどを中心に調査している。まず始めに沼津市へと調査に行き、その地で何が水揚げされていたのかなるべく古い資料がないかを探した。そして、御師の家に残る古文書など文献に記載されている魚を書き出してリストにし比較を行った。9月には富士吉田市へゼミ生と共にフィールドワーク調査をし、主に聞き取り調査やアンケート調査を実施した。文献調査で山梨県と水産物の交易を行なっていたという記載も複数見つかったため、沼津市から魚が運ばれていたと考えられるが、書き出したリストの中には沼津港で水揚げされた記録にないものもあるため引き続き調査を続けていく。今後は御師料理の継承と保存のために何が出来るのかを多くの人に発信出来るように考えていきたい。