令和6年4月20日(土)、香川栄養学園駒込キャンパス内小講堂において「香川綾先生から学ぶ集い」が開催されました。温かな春の日差しの中、香友会会員(卒業生)をはじめ学生会員(在学生)や保護者の方など、遠くは熊本や神戸から総勢120名が参集しました。また、Zoomオンライン視聴にも、北は北海道、南は沖縄から20名の方々が参加されました。
定刻の13時30分に三浦理代さん(学部昭和44年卒)の司会で開会。冒頭、先般ご逝去された香川芳子学園長にむけて全員で黙祷をささげました。
次に、発起人代表の吉田企世子さん(短大昭和30年卒)から開会の挨拶があり、この集いに参加されたことへの謝意とともに「学園創立者である香川綾先生が生涯をかけて実践された教育理念や魅力あるお人柄などを改めて共有し長く語り継ぐことを目的に企画した」と開催の趣旨を述べられました。また、駒込キャンパス正面中庭にある香川昇三先生・綾先生の胸像に添えた銘板(香友会創設70周年の記念に設置)に記された「栄養学の実践」の文言を紹介されました。
講演では、はじめに香川明夫先生(学校法人香川栄養学園 理事長 女子栄養大学大学院・女子栄養大学・女子栄養大学短期大学部学長 香川調理製菓専門学校 校長)が「祖母 香川綾との思い出」と題して、幼少期から社会人になるまで25年間家族として同居した綾先生との思い出を数々の秘蔵写真を示しながらお話されました。
当然ながら家庭では「おばあちゃんと孫の関係」で、綾先生は非常に孫煩悩であったこと。また、家族や親族が大勢集うお正月は立派な鏡餅を供え正月料理を作っていたこと。ご自身の子供達とも頻繁に集まり、親戚との付き合いも大切にしていたこと。多忙な中でも庭の四季花を愛で、時に和装で出かけるなど日常生活を楽しんでいたこと。もちろん日々の仕事には熱心に取り組み、職員や教え子に囲まれていつも笑顔を絶やさなかったことなど、学園創立者としてのお姿だけでなく家族でしか知り得ない家庭人としてのエピソードの数々を披露されました。
最後に「綾との思い出は楽しいことしか残っていない。一緒に暮らす中で祖母の日頃の立ち振る舞いから学ぶことが多かったように思う」と締められました。そして、香川綾の生き方に触れてお願いしたいこととして「これからの食について多様に考え行動すること」「教育は100年の計と捉え、学園創設100周年に向けてこの学びを広げる活動をお願いしたい」と述べられました。
次に森野眞由美さん(学部昭和47年卒 元株式会社バイワネル代表取締役)が「在学中に受けた教育を仕事にどう生かしたか」と題してお話されました。森野さんは、学部を卒業して女子栄養大学栄養クリニックに20年在籍した後に独立し「株式会社バイワネル」を設立されました。
森野さんは「食事で病気を防ぐ」との理念を持つ本学に魅力を感じ、はるか長崎県から上京して入学(当時女子が九州から東京への進学することは珍しいことだった)。1年時は全寮制で食事当番があったが、最初はいやいや取り組んでいた食事作りも将来的に役立つ経験となり一生の財産になったと話されました。まだ学生数が少ない坂戸校舎では綾先生と接することも多く、ともかくパワーや迫力がすごくて、様々な場面で話し時に説得されたりしていつの間にか綾先生のファンになっていたとのことです。香川芳子先生の卒研を修めたことから卒業後に栄養クリニックに在籍し、栄養指導にあたっては正しい知識や方法を単に伝えるのではなく「魅力的に伝える」ことを綾先生から学んだそうです。
栄養指導を社会に広げようと独立(会社設立)した時は、栄養指導コンサルタントの会社は前例がないと言われたが「じゃあ前例を作ろう!」と奮闘し、学校や食品メーカー、小売業などを対象に栄養指導や食育活動を全国展開していったとのことです。本学で学んだ「栄養学」「調理学」「食品学」をミックスした知識や情報を、仕事を通して発信できるのは大きな強みで、結果的に良好な評判を得て信頼に繋がったとのことでした。
綾先生が本学を創立して以降苦難を乗り越えて次々と学園を発展させていったことは「何事も一生懸命取り組み、最後はひとりで責任をとる」と言葉に表すことができます。森野さんはこの「一生懸命の気構え」を仕事にも日々の生活においてもモットーにしているとパワフルなお声でお話されました。
休憩をはさんで、最後は東谷愛子さん(短大昭和29年卒 元株式会社豊かな食を拓く会代表取締役社長)が「香川綾先生のご著書の紹介、先生のお人柄など」と題してお話しされました。東谷さんは、短大を卒業後綾先生の秘書を2年間務められました。昭和61年には香友会事務局長に就任、平成2年に「株式会社豊かな食を拓く会」が設立されると代表取締役専務にその後代表取締役社長に就任され、長く香友会の運営に携わってこられました。
この講演では、昭和61年に香友会が綾先生の米寿祝賀記念に発行した『をりをりの想ひ〔香川綾の『栄養と料理』巻頭言五十年より〕』から引用した綾先生のお言葉を紹介されました。
最初の巻頭言は昭和10年6月号の『栄養と料理』で「創刊にあたって」の経緯が記されています。これは学園創設(家庭食養研究会設立)から2年後のことでした。
続いて昭和10年8・9月号では「栄養と料理カードについて」材料の分量や複雑な作り方が一目でわかる料理カードは家庭料理を作る基礎として大切なものと記されています。
昭和13年1月号では「台所10則」の中でビタミンB1の摂取に胚芽米を推奨し、「おかずは魚1、豆1、野菜4」、「非常時にこそ婦人と子供の健康のために栄養を」と提唱されています。
戦時直前の昭和15年3月号では「卒業生に贈る」と題して、大局を見て最も重要なことのために生命を積むこと、非常時の結核予防のために自覚して胚芽米を使用するなど栄養状態の改良に向けて実行に移す力を持つこと、卒業後は選び定めた場所で全力を尽くすこと、仕事場で苦しいと思った時は泣いて帰る前によく反省することなど、知識を得た卒業生が社会でおおいに活躍するよう叱咤激励されています。
戦後復刊した昭和21年1・2月号では「希望の春」と題して、日本再建のために今こそ食糧自給と栄養改善の必要性を提言し、昭和20年の校舎の焼失で灰と化した「栄養と料理」が復刊できたことを「この1年を振り返りあまりの重荷と苦難に打ちひしがれなかったのが不思議です」と記されています。
昭和25年7月号では「新校舎の落成にあたり感謝に満ちて」と題して、香川栄養学園が昭和25年春に文部省認可の短期大学に昇格するにあたり、綾先生の熱意に賛同された篤志家各位の特別なはからい(融資)とご配慮により、駒込の焼け跡に新校舎が落成したことは大きな喜びであり御恩寵への感謝と表現され、「自らに課せられた責任の重さを感じ瞬時も等閑には過ごせない気がする」と記されています。
昭和37年5月号では「女子栄養大学の開学にさいして」と題して、4年制大学の必要性と意義について「栄養学を基礎からさらに深く系統的に積み上げて勉強することで創造性や応用力を養い豊かな指導力を身につける」「一般教養を身につけ広い視野から生活を研究することで食生活を改善する総合的な能力を得る」「豊かな栄養学者を育成して次世代の女子教育に人間性と科学性の向上を期待する」それによって人々の健康増進、個人の幸福と社会に平和をもたらし日本のみならず東南アジアの人々にも奉仕できる栄養士を養成したいと決意を記されています。
巻頭言の中には栄養や食事(料理)とは離れた内容もあり、例えば仕事に追われて疲れた時の気分転換の大切さ(昭和40年6月号)や、結婚による新しい家庭の繁栄に必要な健康を得るには合理的な新家庭の食事の型を二人で作り四つの食品群による正しい食生活を積み重ねる努力をすること(昭和41年1月号)とアドバイスされています。また当時の社会状況への憂いや微笑ましい家庭での日常の出来事なども記されています。
この書籍の最後の巻頭言は昭和59年12月号に「はぐくむ」と題して、食生活が豊かになった反面子供の食事は「朝食抜き」「ひとりでの食事」「袋菓子や加糖飲料のとり過ぎ」など気掛かりな状況である。子供は家庭で長時間かけて正しい食生活を学ぶことが必要であり、食事のマナーや健康で愉快な食習慣を身につけることは何より生きる基本的な条件であると記されています。
綾先生はこの数々の巻頭言を書くことで正しい食生活の普及に努め、私たちに心身ともに健康に生きる指針をお示しになられました。
予定通り三人の講演が終了し、日田安寿美さん(学部平成4年卒院平成6年修了)より「香川綾先生が信念を持って生きぬかれたお話を伺い気持ちを新たにした。香友会を若い年代に繋げて同窓の絆を深めていきましょう」と閉会の挨拶があり、盛会のうちに無事に終了しました。
参加者によるアンケートでは概ね好評な感想をいただき、「久しぶりに母校を訪れて改めて建学の精神に触れることができた」「綾先生の知り得なかった日常が示され、綾先生は普段の生活も大切にされていたことに感動した」「綾先生の生き様から理論と実践の大切さを実感した」「思いがけず懐かしい恩師や同級生と再会できて嬉しく元気が出た」などのコメントが寄せられました。
※録画配信(YouTube配信)の視聴をご希望の方は香友会事務局までお問い合せください。