平野覚堂ゼミ■ビジュアル・コミュニケーション研究室
イメージカラーケーキ
─色に捕らわれない表現方法─
桜餅の桜色、ショートケーキの白、メロンパンの緑。恐らく多くの人が同じ色を思い浮かべると思います。それらが、青、紫、黒…など全くイメージと違う色で表現されていたとしたら、違和感を抱かず、すんなり受け入れることができるでしょうか。
私は昨年度、学園内留学制度を利用し製菓学生として香川調理製菓専門学校で菓子についてたくさんのことを学びました。その中でアーモンドや砂糖、卵白が原料であるドイツ発祥の洋菓子「マジパン」に出会い、マジパンを使った装飾菓子のマジパン細工に挑戦しました。できた作品を日本最大級の洋菓子コンクールであるジャパンケーキショーに学校代表の1人として出品する為、約4ヶ月間マジパンと真剣に向き合いました。そのコンクールの評価基準の1つに、美味しそうな色を使う、つまり食欲減退食は基本使用しないのが好ましいというものがありました。そして多くの出品者が青色などの寒色を連想させる「海」や「空」などのモチーフを避けて作品のテーマを設定していました。中には、海や雨がテーマの作品もありましたが、賞には選ばれていません。毎年同じテーマの作品が繰り返されることに私は少し不満を感じました。「せっかく作るなら好きなモチーフで自分の納得するものを作りたい」「なぜ色に捕らわれて、テーマを決めなければならないのか」と考え、色に捕らわれずモチーフをケーキで表現出来るようになれば、製菓の表現方法が広がるのではと思い立ちました。
現在、洋菓子はいろんな色で表現されています。しかし、自分の表現したいモチーフや好みに関係なく、使用できる色に制限がかかる状況になったとき、どれだけ色に捕らわれない表現ができるのでしょうかか。中間発表ではプティ・ガトーを製作しました。素材を使いこなし、ケーキに凹凸や光沢を付けることで触覚のイメージが湧き、色に捕らわれず連想できるようにしました。アンケートの結果から全員が同じものを連想することは難しいが、モチーフをイメージさせる色と違ったものを使用しても違和感を抱くという意見はありませんでした。今回はプロの視点から見ても違和感を生じさせず、今の製菓業界に受け入れてもらえるのかを研究するため、ジャパンケーキショーに作品を出品しました。マジパン部門は特にテーマの統一性を大事にしています。会場にいる審査員にも話を聞くことが出来ることから、このコンクールの結果を主に考察し、これからの製菓業界で意識が変わっていく動きの最初の1歩になれるような提案をしていきます。
私は昨年度、学園内留学制度を利用し製菓学生として香川調理製菓専門学校で菓子についてたくさんのことを学びました。その中でアーモンドや砂糖、卵白が原料であるドイツ発祥の洋菓子「マジパン」に出会い、マジパンを使った装飾菓子のマジパン細工に挑戦しました。できた作品を日本最大級の洋菓子コンクールであるジャパンケーキショーに学校代表の1人として出品する為、約4ヶ月間マジパンと真剣に向き合いました。そのコンクールの評価基準の1つに、美味しそうな色を使う、つまり食欲減退食は基本使用しないのが好ましいというものがありました。そして多くの出品者が青色などの寒色を連想させる「海」や「空」などのモチーフを避けて作品のテーマを設定していました。中には、海や雨がテーマの作品もありましたが、賞には選ばれていません。毎年同じテーマの作品が繰り返されることに私は少し不満を感じました。「せっかく作るなら好きなモチーフで自分の納得するものを作りたい」「なぜ色に捕らわれて、テーマを決めなければならないのか」と考え、色に捕らわれずモチーフをケーキで表現出来るようになれば、製菓の表現方法が広がるのではと思い立ちました。
現在、洋菓子はいろんな色で表現されています。しかし、自分の表現したいモチーフや好みに関係なく、使用できる色に制限がかかる状況になったとき、どれだけ色に捕らわれない表現ができるのでしょうかか。中間発表ではプティ・ガトーを製作しました。素材を使いこなし、ケーキに凹凸や光沢を付けることで触覚のイメージが湧き、色に捕らわれず連想できるようにしました。アンケートの結果から全員が同じものを連想することは難しいが、モチーフをイメージさせる色と違ったものを使用しても違和感を抱くという意見はありませんでした。今回はプロの視点から見ても違和感を生じさせず、今の製菓業界に受け入れてもらえるのかを研究するため、ジャパンケーキショーに作品を出品しました。マジパン部門は特にテーマの統一性を大事にしています。会場にいる審査員にも話を聞くことが出来ることから、このコンクールの結果を主に考察し、これからの製菓業界で意識が変わっていく動きの最初の1歩になれるような提案をしていきます。
12か月の雨のコース料理
「雨」が降れば、傘をささなければならなかったり、雨水に濡れたりすることにより、雨に対してネガティブな印象を持つ人が多いのではないだろうか、そんなネガティブな印象を変える方法の1つとして、雨につけられた名前の意味や内容に焦点を当ててみた。雨は降る季節や降水量によってそれぞれ名前がついているが、その意味や内容のほとんどはあまり知られていないだろう。そんな雨を「名前」をヒントに料理で表現することで、「雨」を再発見し理解・解釈を深め、ネガティブな印象で語られがちな雨に明るい印象を見出し与えられるようにしたい。雨を表す日本語は400種類以上と豊富にあるため、12か月それぞれに降る雨を選択し、意味や内容を含めて表現した12品のコース料理を制作していく。
中間発表では3月~5月の3品を制作・発表したため、本発表では残っている6月~2月の9品を制作・発表する。このコース料理は4月始まりの3月終わりであるが、梅雨の時期である6月が特に重要な時期だと考えており、実際に感じたことや考えたことを作品に落とし込みたかったため、1つ月をずらして制作していた。3月~5月の雨は、雪を溶かす雪解雨、花を咲かせる催花雨、植物の成長に大きな影響を与えている青葉雨だったが、6月~2月の雨も、涼しさを感じさせる涼雨や、植物が枯れてしまいそうな時に降る恵みの喜雨など、様々な意味が込められている雨である。料理では、雨水による自然の変化やそれに関連するものを食材で表現し、全体を通して雨の名前を感じさせる仕立てにしている。
本研究では12種類の雨しか取り上げていないが、400種類以上ある他の雨にも深い意味が込められている。いろいろな意味が込められている雨だからこそ、多くの視点から「雨」を見て考えることができ、様々な捉え方ができるのではないだろうか。本研究ではこの料理と共に雨の意味や内容を知ってもらうことで、雨に対して明るい印象を見出せたり、雨の日の過ごし方が変わったりすれば嬉しい。人工的に変えることができない雨だからこそ、自分を含めたいろいろな人に雨を楽しんで過ごしてもらいたいと考えている。
中間発表では3月~5月の3品を制作・発表したため、本発表では残っている6月~2月の9品を制作・発表する。このコース料理は4月始まりの3月終わりであるが、梅雨の時期である6月が特に重要な時期だと考えており、実際に感じたことや考えたことを作品に落とし込みたかったため、1つ月をずらして制作していた。3月~5月の雨は、雪を溶かす雪解雨、花を咲かせる催花雨、植物の成長に大きな影響を与えている青葉雨だったが、6月~2月の雨も、涼しさを感じさせる涼雨や、植物が枯れてしまいそうな時に降る恵みの喜雨など、様々な意味が込められている雨である。料理では、雨水による自然の変化やそれに関連するものを食材で表現し、全体を通して雨の名前を感じさせる仕立てにしている。
本研究では12種類の雨しか取り上げていないが、400種類以上ある他の雨にも深い意味が込められている。いろいろな意味が込められている雨だからこそ、多くの視点から「雨」を見て考えることができ、様々な捉え方ができるのではないだろうか。本研究ではこの料理と共に雨の意味や内容を知ってもらうことで、雨に対して明るい印象を見出せたり、雨の日の過ごし方が変わったりすれば嬉しい。人工的に変えることができない雨だからこそ、自分を含めたいろいろな人に雨を楽しんで過ごしてもらいたいと考えている。
見える世界と見つけるもの
「食について、私は何をすることができるのだろう」または「何をしたいのか」。食文化栄養学科で過ごしていく中で、よく、そんな捉えどころのない、不安がつきまとうように感じる。この漠然としたモヤモヤは、まさに、入学前に抱いていた漠然とした憧れが形を変化させたようで、私は「学生一人一人の、食へのアプローチ」という、いわゆる「食文化らしさ」に憧れていた。
おそらく食文化栄養学科の多くの学生にとっても、「食文化らしさ」とは入学前の憧れであり、しだいに目の前に立ちはだかる壁のようなものに変化していくのだろう。なぜならば、大学で学びを進めれば進めるほど、これまで私たち学生はいかに「食」の消費者としての視点から「食」を捉えていたのかを自覚するとともに、「食」の生産者としての視点の難しさが身に染みて感じられるためだ。そこで生じる疑問は、「食」の生産者として、食文化栄養学科で学ぶからこその「食文化らしさ」が自分にはあるのか、ないのか。また「食文化らしい」ことができるのか、できないのか。いずれにしても、そのような共通の不安を乗り越えた先で、自分の卒業研究のテーマを決めて研究を進めていく。すべての学生が歩んでいく道だ。
一方で、卒業研究のテーマを決定するに当たり、私の中には一向に心に引っかかる、「食文化らしさ」にまつわる何かモヤモヤとした「わからなさ」があった。そこで、その「わからなさ」を起点とし、「食文化らしさ」につながることを試みた結果、「ケーキをモチーフとしたカード作り」をはじめた。当初は、「食」のモチーフを「自分なりに」作ることが、唯一の私に備わる「食文化らしさ」のように捉えてしまっていた。しかし、制作を継続して「わからなさ」と向き合う中、「ケーキらしさ」は意識的にも形式的にも薄れていき、私はあらためて食文化栄養学科での学びに着目するようになった。その学びとは、「『どのように考え』それを『どのように伝える』のか」だった。
中間発表以降、カードのモチーフは「ケーキ」から「図形」へと明確に変化していった。その際、表現からは「食」のモチーフが消えたものの「食文化らしさ」を失ったという感覚は伴わなかった。むしろ「図形」には、「一人一人に固有の、個人が大切にしている価値観やその存在」のような大まかなイメージを伴うようになった。本発表では、新たに制作したカードと新たな「見える世界と見つけるもの」を発表したい。
おそらく食文化栄養学科の多くの学生にとっても、「食文化らしさ」とは入学前の憧れであり、しだいに目の前に立ちはだかる壁のようなものに変化していくのだろう。なぜならば、大学で学びを進めれば進めるほど、これまで私たち学生はいかに「食」の消費者としての視点から「食」を捉えていたのかを自覚するとともに、「食」の生産者としての視点の難しさが身に染みて感じられるためだ。そこで生じる疑問は、「食」の生産者として、食文化栄養学科で学ぶからこその「食文化らしさ」が自分にはあるのか、ないのか。また「食文化らしい」ことができるのか、できないのか。いずれにしても、そのような共通の不安を乗り越えた先で、自分の卒業研究のテーマを決めて研究を進めていく。すべての学生が歩んでいく道だ。
一方で、卒業研究のテーマを決定するに当たり、私の中には一向に心に引っかかる、「食文化らしさ」にまつわる何かモヤモヤとした「わからなさ」があった。そこで、その「わからなさ」を起点とし、「食文化らしさ」につながることを試みた結果、「ケーキをモチーフとしたカード作り」をはじめた。当初は、「食」のモチーフを「自分なりに」作ることが、唯一の私に備わる「食文化らしさ」のように捉えてしまっていた。しかし、制作を継続して「わからなさ」と向き合う中、「ケーキらしさ」は意識的にも形式的にも薄れていき、私はあらためて食文化栄養学科での学びに着目するようになった。その学びとは、「『どのように考え』それを『どのように伝える』のか」だった。
中間発表以降、カードのモチーフは「ケーキ」から「図形」へと明確に変化していった。その際、表現からは「食」のモチーフが消えたものの「食文化らしさ」を失ったという感覚は伴わなかった。むしろ「図形」には、「一人一人に固有の、個人が大切にしている価値観やその存在」のような大まかなイメージを伴うようになった。本発表では、新たに制作したカードと新たな「見える世界と見つけるもの」を発表したい。
食とつながりの空間づくり
─新しい女子栄養大学のキャンパスデザインの立案─
私には、女子栄養大学での学生生活を通し、校舎や設備に対して「もっとこうだったらいいな」と感じる場面が多くあった。具体的には、カフェテリアまでの導線が分かりにくく距離があること、校舎内で手軽に食事や軽食をとれるスペースが限られていること、また校舎から農園まで徒歩約10分を要し通うのが負担になることなどである。こうした問題は、学生の行動動線や時間の使い方、さらには大学生活全体の充実度にも影響していると考えられる。
近年、学びの場は単なる知識習得の空間ではなく、交流や創造を生み出す場としての機能が求められ、教育施設のあり方は大きく変化している。実際に、閉鎖的だった自習室を開放的なオープン空間に改修し、自習はもちろん、グループ学習やワークショップなど、多様な学び方に合わせて活用できるようにした大学もある。しかし、本学のキャンパスの現状は、利便性や快適性の面で課題が多く、学生の中には「なぜうちの大学はこうなのだろう」「もっと快適なキャンパスライフを送りたい」と感じている人も少なくないのではないだろうか。
そこで私は、この大学の持つ落ち着いた立地や環境を活かしながら、前述の3つの課題(1)カフェテリアまでの距離と導線の改善、(2)校舎内における食へのアクセス向上、(3)農園へのアクセス負担の軽減、に焦点を当てた。これらを踏まえ、現在カフェテリアがある5号館A棟を「学生がより快適に過ごせる学びと食の拠点」として再構築することを目的に、新たに設計を行った。
中間発表では、AutoCADおよびRhinocerosといった建築設計ソフトを用いて、私の考える新たな5号館A棟の基本設計図と3Dモデルを作成した。本発表ではそれらのデータをもとに、実物の1/200スケールで建築模型を製作し、立体的な構成と空間のボリューム感を可視化する。図面上では捉えにくい空間の広がりやスケール感を模型によって直感的に理解することで、より理想的なキャンパスデザインを追求していく。
近年、学びの場は単なる知識習得の空間ではなく、交流や創造を生み出す場としての機能が求められ、教育施設のあり方は大きく変化している。実際に、閉鎖的だった自習室を開放的なオープン空間に改修し、自習はもちろん、グループ学習やワークショップなど、多様な学び方に合わせて活用できるようにした大学もある。しかし、本学のキャンパスの現状は、利便性や快適性の面で課題が多く、学生の中には「なぜうちの大学はこうなのだろう」「もっと快適なキャンパスライフを送りたい」と感じている人も少なくないのではないだろうか。
そこで私は、この大学の持つ落ち着いた立地や環境を活かしながら、前述の3つの課題(1)カフェテリアまでの距離と導線の改善、(2)校舎内における食へのアクセス向上、(3)農園へのアクセス負担の軽減、に焦点を当てた。これらを踏まえ、現在カフェテリアがある5号館A棟を「学生がより快適に過ごせる学びと食の拠点」として再構築することを目的に、新たに設計を行った。
中間発表では、AutoCADおよびRhinocerosといった建築設計ソフトを用いて、私の考える新たな5号館A棟の基本設計図と3Dモデルを作成した。本発表ではそれらのデータをもとに、実物の1/200スケールで建築模型を製作し、立体的な構成と空間のボリューム感を可視化する。図面上では捉えにくい空間の広がりやスケール感を模型によって直感的に理解することで、より理想的なキャンパスデザインを追求していく。
ノーションケーキ
─キャラクターを使わないキャラクターケーキ─
私たちは日々様々な分野で、新たなデザインスタイルや表現の技術の進化を目にしている。例えば、SNSの普及に伴い推し活文化が発展し、グッズだけでなくコラボフードやキャラクターを祝うケーキなどの写真を投稿し、楽しむ人が増えた。よく見受けられるのは、パキッとした原色のケーキやクリームのみでデザインされたセンイルケーキ、人物をそのまま載せる写真ケーキなど。私はそれらを見て、食べるためのものという要素が削られすぎているのではないか、写真のためのものになりすぎているのではないだろうかと感じた。見て楽しむで終わらず、もっとモチーフやその魅力を生かしながら、同時に食欲を掻き立てられるような、ケーキらしさも残した作品を作れるのではないかと考えた。
中間発表では、私の推しであるキャラクターをモチーフに、様々な要素をケーキらしいデザインに落とし込んだケーキを作成した。ただモチーフやその色合いをそのまま使用するのではなく、ケーキだからこその考え方の幅を広げたいと思い、「概念」「考え」という意味合いを持った「ノーション」とケーキで、私は「ノーションケーキ」という研究タイトルにした。ノーションケーキを多くの人に受け入れてもらえたが、誰もが分かるモチーフをもとに作成することで本研究の趣旨がより分かりやすくなるのではないか、という意見が散見されたため、最終発表では私がよく知るものであり、比較的有名なものを対象に2作品作成することにした。ケーキとモチーフの併せ方、落とし込み方についてより製菓と作品を研究するため、3作品の共通性は私の好きなものであること、そしてキャラクター、絵画、人物という異なるテーマに分けることにした。デザインや製作過程にどのような工夫がでるか比較して考察し、今後製菓をする際の創作に活かしたいと思う。
キャラクターや原色を使用しない、私が主観的に感じ取った印象をもとに、ケーキらしさを保ちつつテーマを落とし込んだノーションケーキを楽しんでいただきたい。
中間発表では、私の推しであるキャラクターをモチーフに、様々な要素をケーキらしいデザインに落とし込んだケーキを作成した。ただモチーフやその色合いをそのまま使用するのではなく、ケーキだからこその考え方の幅を広げたいと思い、「概念」「考え」という意味合いを持った「ノーション」とケーキで、私は「ノーションケーキ」という研究タイトルにした。ノーションケーキを多くの人に受け入れてもらえたが、誰もが分かるモチーフをもとに作成することで本研究の趣旨がより分かりやすくなるのではないか、という意見が散見されたため、最終発表では私がよく知るものであり、比較的有名なものを対象に2作品作成することにした。ケーキとモチーフの併せ方、落とし込み方についてより製菓と作品を研究するため、3作品の共通性は私の好きなものであること、そしてキャラクター、絵画、人物という異なるテーマに分けることにした。デザインや製作過程にどのような工夫がでるか比較して考察し、今後製菓をする際の創作に活かしたいと思う。
キャラクターや原色を使用しない、私が主観的に感じ取った印象をもとに、ケーキらしさを保ちつつテーマを落とし込んだノーションケーキを楽しんでいただきたい。
まるでシェフ気分!ままごとキッチン!
子どものころ、私は「ままごと」が身近な存在だった。身の回りにあるものと想像力で楽しみ、特別なおもちゃがなくても成り立つ、自由で創造的な遊びだった。おうちの人のまねをして料理を作る時間は、少し大人になったようで、わくわくしたことを覚えている。
しかし成長するにつれて気づいたことがある。それは、「ままごと」がいつのまにか“女の子の遊び”として扱われていることだ。おもちゃ売り場で見かけるキッチンセットはピンク色で、パッケージには笑顔の女の子が描かれている。一方で、男の子は車やヒーローの玩具の前に立っている。そこには、「料理=女性の役割」という価値観が、何気ないデザインを通して再生産されている現実があった。
けれど、ままごととは本来、性別に関係なく誰もが楽しめる遊びであるはずだ。料理をすることや食卓を囲むことは、日常の中で誰にとっても身近な体験であり、子どもにとってそれは世界を模倣し、理解するための第一歩でもある。そこには、性別ではなく“想像する人”としての自由があってよいと考える。
私はこのような気づきから、ジェンダーの枠を超えた「ままごと」をつくりたいと考えた。テーマは「まるでシェフ気分!」である。性別を限定せず、料理を楽しむ人の姿を中心に据え、子どもが自分の発想で遊びを展開できるようなままごとデザインを目指した。色や形、素材には中性的で温かみのあるトーンを選び、手に取った子どもが「これは誰のもの」ではなく「自分のあそび」と感じられるよう工夫した。
さらに、ままごとを通して食べ物への興味や感謝の気持ちが育まれる点にも注目した。ひとりでも、誰かとでも遊べるのがままごとの魅力であり、そこには子ども同士の関わりや対話が自然に生まれる。子どもにとって遊びは「仕事」と言われるほど大切な営みであり、遊びの中で考え、作り、分け合うことが、生きる力を育てていく。ままごとは、単なる模倣遊びではなく、成長を支える原点であると感じた。
この研究を進める中で、「あそび」とは何か、「想像すること」とは何かを改めて考えた。子どもにとってままごとは、自分の世界をつくる行為であり、同時に社会の中で自分らしさを探すための小さな表現の場でもある。ジェンダーの壁を取り払ったままごとの提案を通して、すべての子どもが自分の感性で遊びを広げ、自由に「小さなシェフ」になる喜びを感じられる未来を描きたい。
しかし成長するにつれて気づいたことがある。それは、「ままごと」がいつのまにか“女の子の遊び”として扱われていることだ。おもちゃ売り場で見かけるキッチンセットはピンク色で、パッケージには笑顔の女の子が描かれている。一方で、男の子は車やヒーローの玩具の前に立っている。そこには、「料理=女性の役割」という価値観が、何気ないデザインを通して再生産されている現実があった。
けれど、ままごととは本来、性別に関係なく誰もが楽しめる遊びであるはずだ。料理をすることや食卓を囲むことは、日常の中で誰にとっても身近な体験であり、子どもにとってそれは世界を模倣し、理解するための第一歩でもある。そこには、性別ではなく“想像する人”としての自由があってよいと考える。
私はこのような気づきから、ジェンダーの枠を超えた「ままごと」をつくりたいと考えた。テーマは「まるでシェフ気分!」である。性別を限定せず、料理を楽しむ人の姿を中心に据え、子どもが自分の発想で遊びを展開できるようなままごとデザインを目指した。色や形、素材には中性的で温かみのあるトーンを選び、手に取った子どもが「これは誰のもの」ではなく「自分のあそび」と感じられるよう工夫した。
さらに、ままごとを通して食べ物への興味や感謝の気持ちが育まれる点にも注目した。ひとりでも、誰かとでも遊べるのがままごとの魅力であり、そこには子ども同士の関わりや対話が自然に生まれる。子どもにとって遊びは「仕事」と言われるほど大切な営みであり、遊びの中で考え、作り、分け合うことが、生きる力を育てていく。ままごとは、単なる模倣遊びではなく、成長を支える原点であると感じた。
この研究を進める中で、「あそび」とは何か、「想像すること」とは何かを改めて考えた。子どもにとってままごとは、自分の世界をつくる行為であり、同時に社会の中で自分らしさを探すための小さな表現の場でもある。ジェンダーの壁を取り払ったままごとの提案を通して、すべての子どもが自分の感性で遊びを広げ、自由に「小さなシェフ」になる喜びを感じられる未来を描きたい。
究極のあんバターができるまで
私はあんこ×バターの組み合わせが大好きだ。きっかけはカフェで何気なく頼んだあんバタートーストを食べたことだ。その時私は、なんとも言えない背徳感と美味しさを感じシンプルな見た目とのギャップに魅了された。私は、今まで約60件ほどのお店のあんバターとかかれているメニューや商品を食べてきた。シンプルだがお店によって味が全然違い同じ食べ物を使っているのになぜこんなにも味わいが違うのかと衝撃を受けた。パン以外にもスコーンやモナカもあるがやはり小麦の香りとあんバターとの馴染み方で1番あうのはパンだと感じ、おいしさを重視した究極のあんバターパンをつくろうと考えた。あんこ、バター、パン、この3つを食べ比べ1番良い組み合わせを探す。究極のあんバターパンをつくる過程として市場調査や試食を経て美味しいあんバターパンの組み合わせを「食パン×つぶあん×発酵バター」と「クロワッサン×こしあん×有塩カルピスバター」の2択まで絞った。中間発表では、あんこ×バターという組み合わせの良さや美味しさをたくさんの人に伝えることができたと思う。その後、2択からさらにパンをリベイクした状態やまだ試していなかったベーグル、高加水パン、ブリオッシュとも試食してみたところ、最終的にリベイクした食パン×つぶあん×発酵バターの組み合わせが味や香り、食感など総合して1番良いと感じた。だが、究極を完成させるために食パンは何枚切りの厚さが適切なのか、使っている強力粉や配合はどのようなのが良いのか、そして、あんこは砂糖の量、載せ方、載せる量、バターについてもあんこと同様に載せる量、載せ方、また固まった状態なのか少し溶かした方が良いのかなど細かいところまで考えなければならなかった。どれも手作りしたものから市販の物までを食べ比べ1番だと思う組み合わせを模索しついに「究極のあんバターパン」が完成した。
同じあんこでも甘みや硬さが違ったり、バターも塩味の有無や溶けているか固まっているかなどで味わいが大きく変化する。素材が持つポテンシャルを個性豊かに発揮し、違う味わいを生み出すのが食の面白さで味や見た目だけでない楽しみ方もあるということだ。時代とともに流行として登場する食べ物や料理がある。素材が持つポテンシャルを知ることで新しいものを生み出し続けることができる。食というものに終わりはないのだとわかった。
同じあんこでも甘みや硬さが違ったり、バターも塩味の有無や溶けているか固まっているかなどで味わいが大きく変化する。素材が持つポテンシャルを個性豊かに発揮し、違う味わいを生み出すのが食の面白さで味や見た目だけでない楽しみ方もあるということだ。時代とともに流行として登場する食べ物や料理がある。素材が持つポテンシャルを知ることで新しいものを生み出し続けることができる。食というものに終わりはないのだとわかった。
不完全なパフェ
─行為で完成する新たなパフェの提案─
パフェは、フランス語の「parfait (パルフェ)」が語源であり、「完全な」「完璧な」を意味する。この言葉を示すかのように、近年味わいとビジュアルの両面で完成度の高いパフェが多く見られる。また、パフェは様々な素材を用いて重ね合わせることで、一つのグラスの中に季節感や世界観を表現できるデザートである。しかし、私はこの「完璧で完成された見た目」が当たり前となった今だからこそ、「想像の余地」に注目した。完成という概念に対して、あえて“未完成”という余白を設けることで、スイーツの新たな価値創出を目指す。本研究では、あえて不完全な状態から、食べる人が自ら手を加え完成させるという「四季」×「行為」の体験型のパフェを提案する。
近年では、「くだく」「かける」「掘る」といった行為を取り入れたスイーツが注目を集めている。森永製菓の「砕マリー&ホワイトチョコ」や韓国発の「ハートティラミス」、ファミリーマートの「掘って発見!スイートポテト」など、食べ手のアクションを取り入れた商品が増加している。これらは主に“行為の楽しさ”や“サプライズ性”を目的としている。本研究では、こうした時代の流れを踏まえつつ、行為に「季節」という要素を組み合わせ、より感性的な体験価値を生み出すスイーツを目指す。四季それぞれの情景の想起につながる行為と組み合わせることによって、季節ごとの情緒をより深くパフェを通して味わい、食べる人の感情や体験をより深く引き出すことを狙いとする。
中間発表では、「春」×「咲かせる」というコンセプトで「咲かせるパフェ」を制作した。不完全なパフェの状態から食べる人がオリジナルの花の木を完成させ、花が咲く瞬間のようなときめきや達成感を食べ手に感じてもらうことを目的とした体験型スイーツである。実際体験してもらった結果、パフェは完成された形を味わうだけのスイーツではなく、食べるまでの過程を楽しむことにも価値があることが分かった。また、「完成形が人によってそれぞれ異なり、複数人でやると楽しいと思った」という意見から、オリジナリティのある完成形に仕上がることで、より楽しさや満足感が得られるという発見があった。
本発表では、「春」の制作で得られた気づきを活かし、「夏」「秋」「冬」×「行為」のパフェを提案する。四季それぞれの行為を通して、食べ手自身が完成させる“能動的なスイーツ”としてのパフェの新たな可能性を探る。
近年では、「くだく」「かける」「掘る」といった行為を取り入れたスイーツが注目を集めている。森永製菓の「砕マリー&ホワイトチョコ」や韓国発の「ハートティラミス」、ファミリーマートの「掘って発見!スイートポテト」など、食べ手のアクションを取り入れた商品が増加している。これらは主に“行為の楽しさ”や“サプライズ性”を目的としている。本研究では、こうした時代の流れを踏まえつつ、行為に「季節」という要素を組み合わせ、より感性的な体験価値を生み出すスイーツを目指す。四季それぞれの情景の想起につながる行為と組み合わせることによって、季節ごとの情緒をより深くパフェを通して味わい、食べる人の感情や体験をより深く引き出すことを狙いとする。
中間発表では、「春」×「咲かせる」というコンセプトで「咲かせるパフェ」を制作した。不完全なパフェの状態から食べる人がオリジナルの花の木を完成させ、花が咲く瞬間のようなときめきや達成感を食べ手に感じてもらうことを目的とした体験型スイーツである。実際体験してもらった結果、パフェは完成された形を味わうだけのスイーツではなく、食べるまでの過程を楽しむことにも価値があることが分かった。また、「完成形が人によってそれぞれ異なり、複数人でやると楽しいと思った」という意見から、オリジナリティのある完成形に仕上がることで、より楽しさや満足感が得られるという発見があった。
本発表では、「春」の制作で得られた気づきを活かし、「夏」「秋」「冬」×「行為」のパフェを提案する。四季それぞれの行為を通して、食べ手自身が完成させる“能動的なスイーツ”としてのパフェの新たな可能性を探る。
ロスパンを出さない店づくり
─食品ロス削減に向けたしくみの提案─
日本では、まだ食べられるのに捨てられてしまう「食品ロス」が深刻な問題となっており、なかでもパンは賞味期限が短く、廃棄されやすい食品のひとつである。私はこの課題に対して、「売れ残りを前提とせず、そもそもロスを出さないしくみを作ること」が大切だと考えた。そこで本研究では、パン屋とカフェを併設したお店を想定し、ロスが出にくい店舗のしくみや販売方法、さらに万が一売れ残った場合の工夫までを含めた店舗のあり方をテーマに取り組んだ。
まず、店舗のしくみとして、焼きたてパンの販売とカフェでのイートインを組み合わせることで、パンの提供方法に幅を持たせ、時間帯や客層に応じて売れ残りが出にくい方法を採用することにした。そして、売れ残りやすいパンを目立つ位置に並べたり、時間帯ごとに並べる量を調整したりすることで、できるだけその日のうちに売り切ることができるだろう。導線やレイアウトを考えることで、お客さんが自然に店内を回れ、買いたくなるきっかけを増やすこともできるかもしれない。
次に、万が一売れ残りが出た場合には、パンを再利用した「リメイクパンケーキ」を提供できる体制も考えてみよう。例えば、ロスパンを細かくして、卵や牛乳と混ぜて焼き上げたこのパンケーキ。なるべく、見た目や味からは“余ったパン”という印象を与えない工夫が必要だ。この工夫で、売れ残りが出たときにも無駄にせず、美味しく提供することを期待したい。
さらに、店内には食品ロスについて伝えるポップや展示スペースを設け、来店者が美味しく食事を楽しみながら、食品ロスの現状や自分にできることについて考えられるような空間づくりも考えた。
本研究では、ただパンをリメイクするのではなく、「売れ残らせない工夫」と「もしものときの対策」の両方を取り入れた、現実的で続けやすい店舗のかたちを提案する。
まず、店舗のしくみとして、焼きたてパンの販売とカフェでのイートインを組み合わせることで、パンの提供方法に幅を持たせ、時間帯や客層に応じて売れ残りが出にくい方法を採用することにした。そして、売れ残りやすいパンを目立つ位置に並べたり、時間帯ごとに並べる量を調整したりすることで、できるだけその日のうちに売り切ることができるだろう。導線やレイアウトを考えることで、お客さんが自然に店内を回れ、買いたくなるきっかけを増やすこともできるかもしれない。
次に、万が一売れ残りが出た場合には、パンを再利用した「リメイクパンケーキ」を提供できる体制も考えてみよう。例えば、ロスパンを細かくして、卵や牛乳と混ぜて焼き上げたこのパンケーキ。なるべく、見た目や味からは“余ったパン”という印象を与えない工夫が必要だ。この工夫で、売れ残りが出たときにも無駄にせず、美味しく提供することを期待したい。
さらに、店内には食品ロスについて伝えるポップや展示スペースを設け、来店者が美味しく食事を楽しみながら、食品ロスの現状や自分にできることについて考えられるような空間づくりも考えた。
本研究では、ただパンをリメイクするのではなく、「売れ残らせない工夫」と「もしものときの対策」の両方を取り入れた、現実的で続けやすい店舗のかたちを提案する。
あみあみ菜園のせいちょうにっき
─疑似菜園体験を通じた親子での食農教育の方法提案─
我々は今よりもずっと、「食の大切さ」を実感すべきであると、私は考えている。
多くの人が小学校などで植物を育てた経験を持っているだろう。しかし、大人になるとそのような体験を思い出す機会は少なくなり、いつしか食材を“商品”としてしか見なくなってしまう。スーパーに並ぶ野菜や果物の値札の裏にある、生産者の努力や自然の恵み、ひいては「食の大切さ」を私たちは日常の中で忘れがちになっているのではないだろうか。そうした中で、大人が子どもと共に改めて「食」と「農」に触れる機会を作ることは、現代においてとても意味のあることだ。
本研究の目的は、親子で「食の大切さ」を楽しく学び直せる疑似菜園体験キット「あみあみ菜園キット」を通して、食農教育の新しい形を提案することである。食農教育とは、食育の中でも特に農業に関する知識や体験を通して、食の背景や自然とのつながりを学ぶことを目的としたものだ。
本研究では、かぎ針編みのあみぐるみを使い、家庭の中でも手軽に食農教育ができる「あみあみ菜園キット」を制作した。これは、日々の小さな作業の積み重ねによって植物の成長を感じられる疑似体験型の教材である。アドベントカレンダーのように1日1つ袋を開けると、そこには指示書と“成長分のあみぐるみ”が入っており、それを本体に少しずつ取り付けていくことで、植物が日に日に育っていく様子を再現する。忙しい生活の中でも、親子で数分間の“育てる時間”を共有することで、命の変化を見守る感覚や、収穫の喜びを手のひらの中で感じることができる。実際に植物を育てる事が難しくても、「農に触れる生活」を再現できるのがこのキットの魅力である。
前回は、バナナを題材にしたキットを制作した。身近な果物でありながら、その成長過程を知る機会が少ないバナナを通して、食材の生い立ちを学ぶことを目指した。一方、今回の最終発表に向けては、新たに「イチゴ」をテーマとしたキットを制作している。イチゴは、一つの鉢に複数の苗を植えられる植物であり、同時に複数の命を育てる難しさを感じられる点に魅力がある。また日々の手入れや、罹りやすい病気の種類の多さなど、より多くの工程が必要となることから、前回よりも難易度の高い体験ができる設計とした。ひとつひとつの苗を大切に世話しながら育てていく過程を通して、親子で楽しく、そして日常の中で食農教育を実践できるキットを目指している。
多くの人が小学校などで植物を育てた経験を持っているだろう。しかし、大人になるとそのような体験を思い出す機会は少なくなり、いつしか食材を“商品”としてしか見なくなってしまう。スーパーに並ぶ野菜や果物の値札の裏にある、生産者の努力や自然の恵み、ひいては「食の大切さ」を私たちは日常の中で忘れがちになっているのではないだろうか。そうした中で、大人が子どもと共に改めて「食」と「農」に触れる機会を作ることは、現代においてとても意味のあることだ。
本研究の目的は、親子で「食の大切さ」を楽しく学び直せる疑似菜園体験キット「あみあみ菜園キット」を通して、食農教育の新しい形を提案することである。食農教育とは、食育の中でも特に農業に関する知識や体験を通して、食の背景や自然とのつながりを学ぶことを目的としたものだ。
本研究では、かぎ針編みのあみぐるみを使い、家庭の中でも手軽に食農教育ができる「あみあみ菜園キット」を制作した。これは、日々の小さな作業の積み重ねによって植物の成長を感じられる疑似体験型の教材である。アドベントカレンダーのように1日1つ袋を開けると、そこには指示書と“成長分のあみぐるみ”が入っており、それを本体に少しずつ取り付けていくことで、植物が日に日に育っていく様子を再現する。忙しい生活の中でも、親子で数分間の“育てる時間”を共有することで、命の変化を見守る感覚や、収穫の喜びを手のひらの中で感じることができる。実際に植物を育てる事が難しくても、「農に触れる生活」を再現できるのがこのキットの魅力である。
前回は、バナナを題材にしたキットを制作した。身近な果物でありながら、その成長過程を知る機会が少ないバナナを通して、食材の生い立ちを学ぶことを目指した。一方、今回の最終発表に向けては、新たに「イチゴ」をテーマとしたキットを制作している。イチゴは、一つの鉢に複数の苗を植えられる植物であり、同時に複数の命を育てる難しさを感じられる点に魅力がある。また日々の手入れや、罹りやすい病気の種類の多さなど、より多くの工程が必要となることから、前回よりも難易度の高い体験ができる設計とした。ひとつひとつの苗を大切に世話しながら育てていく過程を通して、親子で楽しく、そして日常の中で食農教育を実践できるキットを目指している。