令和7年度 食文化栄養学実習

竹内由紀子ゼミ■食文化研究室


「駄菓子の変遷、駄菓子の現在」

   私は現在、駄菓子屋でアルバイトをしています。振り返れば子どもの頃から駄菓子に親しんでおり、安く手に入り遊び心のある商品に魅力を感じてきました。だからこそ、駄菓子屋をアルバイト先に選んだのだと思います。アルバイトを通じて、駄菓子が人々の日常や地域社会と深く関わっていることを漠然と感じていました。そこで、駄菓子が実際にどのように人々の生活や地域社会と関わっているのかを探究したいと思い、卒業研究のテーマにしました。
   中間発表では、先行研究を渉猟して駄菓子の特徴や歴史、そして駄菓子屋の社会的役割について整理をしました。駄菓子は江戸時代に庶民のお菓子として始まり、明治時代には子ども向けの菓子としてさらに発展しました。第二次世界大戦後から高度経済成長期にかけては、地域社会で駄菓子が子どもたちの遊びや日常的な交流の核となっていたことが分かりました。子どもたちは駄菓子を買うことを通して、同齢だけでない年上・年下の友達や店主と関わり、家庭や学校では得られない社会的な経験を積んでいたことが確認されました。しかし、少子化やライフスタイルの変化、さらにコンビニエンスストアの普及により、日常的に駄菓子屋に立ち寄る子どもの姿は減少し、地域での関わり方が変化していることが見受けられました。一方で、近年はレトロブームの影響により大人の関心が再び高まり、駄菓子屋は単なる販売の場ではなく、世代を超えて人々が交流できる空間としての役割を担っていることが明らかになりました。これらの変化から、駄菓子は「子ども中心の地域文化」から「世代を超えて懐かしさを共有する文化的存在」へと変化する傾向にあることが分かりました。
   最終発表では、これらの変化を踏まえ、実際に駄菓子を扱う店舗を訪問し、駄菓子屋が地域にもたらす価値についての観察やインタビュー結果を報告します。具体的には、現在の駄菓子と駄菓子屋の実態が、どのように伝統的な駄菓子文化を現代に引き継ぎ、またどのように変容しているのかを報告します。この研究を通じて駄菓子の多様な魅力をより知ってもらうことで、駄菓子への理解が深まり、地域社会の紐帯にも寄与していることを再認識する機会になれば嬉しいです。  

後世に伝えたい郷土食
埼玉県東部地域の食を中心に

   私は、幼少期から埼玉県宮代町に住む祖母が作る料理を食べてきた。祖母が作る料理は、どれもおいしく印象に残っている。だが、そんな祖母も今では高齢になり、足腰が自由に動かなくなってしまった。その影響もあり、祖母は当時のように料理を作り、振る舞うことが減り、現在ではスーパーマーケットで購入したものを食べることが増えている。
   また、私たちの食生活も、私たちを取り囲む社会情勢の変化やライフスタイルの多様化、食のグローバル化などの様々な影響を受けて大きく変化してきた。現代人は、仕事や子育てを行いながら多くの作業をこなさなければならないため、時間対効果が重視され、食事の準備や調理に手間のかかる郷土食は、年々衰退しているのが現状だといえるだろう。
   祖母が作った料理を食べていた当時は「当たり前」だと思っていた近隣の人と「食」を通じた交流も、三世代(家族)で様々なことを話し合いながら食事をするということも今では「珍しい」ものとなってしまった。だが、私にとって祖母が作ってくれた郷土食を多くの人と交流を図りながら食べたという思い出は、今もこれからも大切にしたい記憶である。私は、その記憶の中に存在している、今は失われつつある郷土食を研究対象とすることで、食を通して祖母だけではなく先祖とも繋がり、自分自身のルーツを知ることができると考えた。
   そこで本研究では、私の祖母が生まれ育った埼玉県宮代町を軸にその周辺地域である埼玉県東部地域の歴史や行事、また行事食、郷土食について探求し、それらの料理が食べられるようになった背景について、文献調査や、東部地域の道の駅や郷土菓子を製造している和菓子店などにインタビューを実施する。
   これにより、この地域ならではの食材や特産品との関わりなど、多角的に調査し、郷土食の魅力について追究している。12月の発表会では、その成果を報告したい。

いもフライを全国に広めたい!
栃木県の隠れソース文化

   皆さんは「いもフライ」をご存じだろうか。蒸したじゃがいもを串に刺し、衣をつけて揚げた後、ソースをかけて仕上げた栃木県佐野市のご当地グルメである。栃木県内のスーパーマーケットのお総菜コーナーでは、ほぼ必ず並んでいるほど馴染み深い食べ物であり、佐野市内には「いもフライ専門店」が約20店舗存在する。しかし栃木県を離れるといもフライの知名度はぐっと低くなり、知らない・食べたことがないという人ばかりで驚いた。
   そこで、いもフライの魅力を広めることを目的に、いもフライについて研究し、佐野市内で販売されているいもフライの特徴をまとめた「いもフライマップ」を作成することにした。これにより、いもフライの知名度アップと栃木県の観光促進を目指す。
   佐野市ではいもフライに地ソースが使用されることが多い。地ソースとは、全国的に多くのシェアを占める大手メーカーと異なり、地域に根差した中小メーカーが作る独自のソースのことで、いもフライによく使用されるミツハフルーツソース、マドロスソースは佐野市内のソースメーカーのものである。調べたところ、栃木県には日本ソース工業会に登録されているソースメーカーの数が4社で、関東では東京に次いで2番目に多く、全国的にも6番目に多い。また、宇都宮焼きそばなどソースグルメも多数存在することが明らかになった。このことから、栃木県にはソース文化が根付いていることに気づき、いもフライを通じてあまり周知されていない栃木県のソース文化の発信も行いたいと思った。
   中間発表までは、いもフライを知ってもらうために、いもフライと日本のソースの歴史、栃木県のソースグルメについて調査した。いもフライの歴史は明確ではないが、いもフライ誕生以前にソースメーカーが存在したこと、戦後食糧難でじゃがいもが重宝されたこと、この二つの要因からいもフライは誕生したと考えた。他にも、隣接する群馬県南部にもソースグルメが多数存在し、佐野市を含む栃木県南部と群馬県南部をつなぐJR両毛線では今年の1月から5月にかけてソースグルメのイベントが行われた。このことから、ソースグルメは既に観光促進に活用がはじまっていることが分かった。
   最終発表では、実際に佐野市で現地調査を行い、作成した「いもフライマップ」を中心に発表を行う。「いもフライ」を通じた栃木県のソース文化を知ってもらうことで、栃木県へ足を運ぶきっかけになればいいと思う。

薬味の変遷と地域性

   冷奴やおでんなどを食べる時、どんな薬味を使うか意識したことはあるだろうか。あるとき、冷奴の薬味に石川県などでは生姜ではなくカラシを用いることを知った私は、薬味の世界に興味を持ちこのテーマを追究することにした。現在は、薬味の地域性だけではなく、薬味として馴染みのある食材の利用目的の変遷や、定着するまでの過程などに着目して研究を進めている。
   薬味は料理の主材料とは異なり、料理を陰で支える存在だが、日本の食文化を特徴付ける重要な要素であるといえる。そんな薬味のたどった過程を知ることで、日本人の料理に対するこだわりについて考察したい。
   中間発表では、薬味の定義とわさびの歴史について文献研究の結果を報告した。奈良時代において薬味は、薬と位置付けられたり邪気を祓うものとしての役割を担ったりした。平安時代になると、生姜や山椒などが「薑蒜類」として、現在のような薬味としての使用が始まったことが分かった。当時の調味の仕方からみて「薑蒜類」という料理に添える香辛料の存在があったことは重要であると考えている。わさびの歴史については、飛鳥時代の資料に登場し、税として朝廷に納められていたことや、平安時代には健康や元気をつける滋養強壮の食べ物という認識が強かったことなどが明らかになった。
   現在はわさび以外の薬味についての歴史、おでんや豆腐料理など薬味を多く用いるものについて、用いる薬味が地域によって異なるのかどうかを調査している。また、汁物に添える薬味「吸い口」について、代表的に用いられる「七味(唐辛子)」を取り上げ、東京・長野・京都で販売されている商品を実際に味わい、比較した。これらの事例から、なぜ地域によって違いが生まれたのか考察し、最終的に日本人が薬味に求めてきたことや、地域による嗜好性の差異を考えたい。この研究を通して、日本人にとって薬味とはどんなものなのか一人でも多くの人に伝えたい。そして、日本の食文化についてさらに深く理解するきっかけになればいいと思う。

日本における薬膳料理

   皆さんは、「薬膳料理」にどのようなイメージを持っていますか?
   薬膳料理とは中国で生まれ、食材それぞれの持つ効能を調理によって調和させ、食べることで体調を整えて病気の予防などを図る、中医学の理論に基づく食事のことを指します。
   近年飲食店で薬膳カレーや麻辣湯など、「薬膳」と名の付くメニューを目にすることが増えたように感じます。しかし、女性を中心に人気を得ている薬膳料理は、美容効果があるということで話題に上がる一方で、日本人にとっては外食する際の一つのジャンルといった位置付けで、自宅で作って食べる内食では馴染みがありません。中国や韓国とは違って日常の食生活までには浸透していないのではないかという点に疑問を抱くと共に、今後の可能性を感じました。
   そこで、私自身が薬膳に関する知識を深めるとともに、薬膳料理の需要や現代日本人が薬膳をどのように理解し、これまでのブームが出来上がってきたのかを探究したいと考え、薬膳料理を研究のテーマに取り上げることにしました。
   中間発表では、中国における薬膳の歴史と日本国内の薬膳の実態を調査し、私が特に興味を持った薬膳の持つ美容効果に焦点を当てました。また、様々なスタイルで薬膳料理を提供する飲食店へ実際に足を運び、薬膳料理の在り方や魅力について探究してきました。それらのポイントを挙げると、日本人の薬膳料理への主な関心は、もっぱら美容や健康を意識する女性を主役とするものであり、その理解としては身体の内側から働きをサポートしてくれるものとして「お洒落で賢いセルフケア」として位置付けられていると分析しました。また、中国から伝わった薬膳料理は未だ珍しいもののままであると指摘できます。
   最終発表では、日本人の持つ美容、健康への意識から現代日本人にとっての薬膳とは何かを報告し、私たちの日常の食に取り入れやすい薬膳の実践方法を紹介します。

トルコの食文化
祝祭と飲文化にみる人々の繋がり

   私は、1歳から4歳までトルコ共和国(以下トルコ)で生活していたことがある。そしてその後も、小学生や中学生の頃にも現地を訪れている。トルコで過ごした幼少期の記憶は多くはないが、少し成長してから再びトルコを訪れたときに感じた人々の温かさや、食卓を通じた交流の豊かさが心に残り、大学で改めてトルコの食文化を深く知りたいと思うようになった。そこで私はトルコの食文化を研究のテーマとすることにした。
   トルコはアジアとヨーロッパの分岐点であり、多様な民族と文化が交わる地域である。その歴史の中でも、オスマン帝国時代に形成された広大な交流圏は、各地の食材や調理法を取り入れることで現在の豊かな食文化の基盤を築いた。こうしたことからトルコ料理を世界三大料理のひとつとする見方が定着した。本研究では、トルコの歴史背景を踏まえながら、宗教行事や飲食習に展開する「食を介した人と人との関わり方」を折出することを目的とした。
   中でもイスラームの宗教行事であるラマダン(断食月)と、その後に行われるラマダン・バイラム(祝祭)に着目した。断食明けに家族や近隣の人々と食卓を囲む習慣は、宗教的な行為であると同時に、人々の絆を深める社会的な文化として根付いている。また、バクラヴァやロクムなどの甘味を贈り合う風習には、もてなしや感謝の心が表れている。
   さらに、ユネスコの無形文化遺産に登録された「トルココーヒー文化の伝統」および「トルコの紅茶文化」についても文献研究をおこなった。トルココーヒーは来客をもてなす象徴であり、結婚儀礼や占いなど特別な場面でも重要な役割を果たしている。一方、紅茶は日常生活に深く根付き、家庭や職場、街角のチャイハネ(喫茶店)で人々が気軽に語り合う装置となっている。コーヒーが儀礼的で特別な意味を持つのに対し、紅茶は日常性を表現する。これら二つの飲料文化が併存している点は、他のイスラーム圏と比べても顕著なトルコの独自性となっている。    こうした情報を整理すれば、トルコの食文化は「人とのつながり」を大切にしながら発展してきたと言えるだろう。そして、ラマダン・バイラムでの食卓や、トルココーヒーと紅茶の習慣に見られるように、日常と儀礼の両面で食文化が人々を結びつける仕組みが存在している。この文化の仕組みが、トルコという国を豊かなものにしているといえるのではないか。

日本における中国料理店の展開
横浜中華街を中心に

   私は、日本において中国料理店がどのように展開したのかを研究している。中でも横浜中華街をベースに置いて研究を進めている。
横浜中華街では、中国四大料理をはじめ多様な料理が提供されており、その変遷・展開を追うことは、日本における中国料理の受容を理解する上で重要だと考えられる。歴史的・社会的な要因が業態や料理内容にどう影響したのかを明らかにしていく。
   中間発表では、文献調査から以下のことが分かった。
   一般的に知られる四大中国料理という分類は、中国で自然に発生したものではなく、多様な中国の食文化を外国人が理解できるよう、意図的に構造化したものだとわかった。
   日本に存在する中華街の中でも、横浜中華街の規模は圧倒的に大きくジャンルも様々あり、広い視野で実態調査を行う上で横浜中華街が重要性であると認識した。
また、文献調査によって、バブル崩壊後の経済的な変化が、中華街の店舗構成に大きな影響を与えたことが確認された。この時期を境に、高級中国料理店が中心だった従来の構成から、より手軽でカジュアルな食べ歩きへ需要がシフトし、それに対応した業態が増加したことが分かった。観光客の消費行動や嗜好の変化が、中華街に変化をもたらした。
   最終報告では、中間報告で得られた知見をさらに深く掘り下げ、分析を行なう。
   バブル崩壊後の変化に加え、その後の社会経済的なトレンド、たとえば近年のインバウンド需要の拡大や健康志向の高まりといった要素が、横浜中華街の中国料理店の業態、メニュー構成、価格帯などにどのような関連性を持って影響を与えてきたのかを分析し、社会の大きな変化と個々の店舗の戦略との相関関係を明らかにする。
   また、横浜中華街が、中国料理を提供する「食の街」というだけでなく、一つの観光地としてどのように成長したのかを考察する。街並みの整備、イベントの開催など観光客誘致のためのプロモーション戦略について調査する。
   さらに、観光客が利用する店と、横浜中華街で働く人々が日常的に利用する店との間に見られる違いについても調査を行なう。この利用客層の比較は、観光客向けに最適化された側面と、地域コミュニティや食のプロフェッショナルに支えられる側面という、中華街が持つ二面性を浮き彫りにしたい。これにより、それぞれの店舗が果たす役割の違いや、提供する料理の本格性・多様性といった特徴について調査を行なう。

お土産の文化とその変遷

   あなたは旅行に行くという友人に「お土産よろしく!」と言った経験、言われた経験はありますか? そもそも旅行に行った際、お土産は買いますか? それは自分に? 家族に? 友人に? 職場の人に?そして、何を買う? 相手の好みや食べやすさ、賞味期限や入っている個数、値段やその土地らしさ……。
   今まで私は旅行に行ったらお土産は買うのが当たり前と認識をしていました。しかし、お土産について考え始めると意外と難しいものです。「お土産を買う」という一見ありふれた行為に興味を抱いたこと、そしてお土産というものを考察することで、今後の人生でお土産を選ぶ際に何を重視したらいいか参考にできるのではないかと思い、研究対象としました。
   6月の中間発表では、「お土産」という言葉の語源は神社にお参りする際の供え物を入れる器であったこと、江戸時代に伊勢神宮へのお伊勢参りが流行したことがお土産発展のきっかけとなったことなどを報告しました。そして現在買うことができるお土産を、現地の特産品を用いた商品であるのか、全国展開をしているメーカーが手掛けたものなのか、また商品購入の難易度やレア度などでカテゴライズし土産物の特徴をつかみました。例えば、全国展開のメーカーが手掛けたものは、乾きもの、お菓子が多く、現地のメーカーが手掛けたものは和菓子が多く、全国展開するメーカーが手掛けたもののほうが賞味期限が長いものが多いということ。またお土産が作り出す人との繋がり方についても考え、お土産を買うことで会う名目を作ったりすることに気付きました。また、昨今はSNS時代であるからこそ、旅行に行ったことが広く知られてしまい、誰に買うかの線引きが難しくなっていると気付きました。
   12月の発表会では、お土産に対して人々がどのようなイメージを持っているのか、お土産を買うことに対して面倒だと感じる人がどのくらいいるのか、もしくはワクワクしながら選んでいるのか。またどのような基準で商品を選んでいるのか、誰に買うのか、毎回買うのかなどの調査資料を整理しながら、お土産選びの基準について考察したいと思っています。これにより、さまざまな物差しを自分が獲得したり、発表を聞いてくれた人が旅先でお土産を買う際により相手のことを考えながら選ぶきっかけになったらうれしいです。

食材としてのザリガニ

   私の母は幼少期にザリガニを食べた経験があるという。私はその話を聞いたとき、強い衝撃を受けた。ザリガニを食べる文化が存在することは知識として知っていたが、それは遠い海外での話だと考えていた。身近な家族の中に実際にザリガニを食べた人がいるという事実は、私にとって大きな発見であり、食材としてのザリガニへ関心を持つきっかけとなった。
   ザリガニは世界各地で食材として利用されており、特にスウェーデンをはじめとする北欧諸国や中国などでは、郷土料理や季節の行事として親しまれている。一方、日本ではペットや観賞用としてのイメージが強く、食材としての利用は非常に限られている。しかし近年、食文化の多様化や外食産業の影響により、ザリガニ料理を提供する飲食店やイベントも少しずつ増えつつあることがわかった。
   私はこのような現状を踏まえ、ザリガニがどのように日本の食文化の中に受容され展開しているのかを明らかにすることを目的に研究を進めている。実際にザリガニ料理を提供している店舗を訪れ、提供方法や味の特徴を調査している。また、ザリガニを食材として活用する上での課題や可能性についても考察している。
   ザリガニには旬があり、旬である夏が過ぎて、ザリガニ料理の提供やイベント開催が少ない時期に入ったため、今後は日本で唯一ザリガニを養殖している阿寒湖漁業協同組合のネット通販でザリガニを購入し、自ら調理や試食を行う予定である。実際の調理を通じて、調理による味わいの相違や調理のしやすさ、食材としての魅力や課題を体験し、多角的にザリガニの食文化的価値を探っていきたい。本研究を通して、ザリガニという身近な存在ながらも未知の食材が、日本の食文化にどのように位置づけることが可能なのかを明らかにしていきたい。

おふくろの味ってどんな味?

   日本の食文化には「ハレ」と「ケ」の食事という考え方があります。「ハレ」の食事とは、お祝い事や祭りなどの特別な行事で食べる料理を指し、対照的に「ケ」の食事は日常的に食べる普段の料理を意味します。
   私は本学科で食文化について学ぶ中で、この「ハレ」と「ケ」の食事に強く興味を持ちました。特に「ケ」の食事について考えたとき、真っ先に思い浮かんだのが「おふくろの味」でした。「おふくろの味」と聞いて、皆さんはどんな味を想像するでしょうか。私自身、自炊した料理と帰省した際に母が作ってくれる料理が、同じレシピのはずなのにどこか味が違うと感じた経験があります。この体験から、「おふくろの味」とは一体何なのか、自分にとって、そして人々にとってどのような味として記憶されているのかという疑問を抱き、このテーマを選びました。
   中間発表までに先行研究の購読や身近な人へのインタビューを通して、一般的なおふくろの味に対する認識や、個人の食体験や記憶とおふくろの味との関連について探究を進めてきました。先行研究によれば、1.おふくろの味には母から子供へ伝承されるという継続性を持つこと、2.時代によっておふくろの味に対して異なる認識があること、3.地元を離れて暮らす人々にとって故郷を想起させるものであること、4.ジェンダー要素があること、という4つの側面があることがわかりました。またインタビューからは、おふくろの味とは料理そのものというよりも、「誰とどこでどんな状況で食べたのか」といった個人の経験と深く関係があるということを抽出しました。
   最終発表では、「おふくろの味」と「食の外部化」について調査を進めています。近年、飲食店や中食産業が「おふくろの味」という言葉を用いることに対し、炎上騒動が起きる事例も見られます。そこで私は、「おふくろの味」とは何か、その料理に含まれる要素や人々の記憶・感情との関係性を注視しながら、現代社会における意味の変化について報告します。

奇食といわれる「おどり食い」
生き物を生きたまま食べるのはかわいそうなのか

   日本には「おどり食い」という生き物を生きたまま食べる文化がある。しかし、このような文化を持たない国からは批判されていることが現実だ。生き物を生きたまま食べることはかわいそうなのか。
   北海道函館にある飲食店が提供する「活イカ踊り丼」を外国人観光客が動画サイトに投稿したところ、「人道的ではない」「残酷だ」と話題になった。醤油をかけると足をくねらせる様子を「踊り」と表現している。生きている生き物を食べるわけではないが、苦しんでいるかのような動きを見ながら食事をすることが、人道的ではないと非難されている。
   日本では刺身や卵を生で食べることが好まれ、新鮮さはおいしさに直結すると理解されている。「おどり食い」は新鮮さを目に見える形で表していることが、人々を引き付ける理由の一つだ。それほど、新鮮ということは重要視されている。
   現在、動物の福祉として家畜やペットの環境について法律で定めている国があるが、近年では養殖魚やタコ、ロブスターなどの甲殻類に対しても感覚を持つ生き物として組み込まれ始めた。これらの国では痛みを感じる生き物に対して人間は配慮する必要があると考えられている。
   ヴィクトリア・ブレイスウェイトは『魚は痛みを感じるか?』において、魚類すべてが痛覚を持つとは断言していないが、マスは痛覚を持つと言う。しかし、人間と同じように痛みを感じ、それを苦痛ととらえているかという部分に対してはまだ疑問が残されている。著作の発表を受け、魚にも痛覚がある認知が広まった。
   人はなぜ生き物に「かわいそうだ」と感じるのだろうか。人間は痛覚を持ち、感じた痛みを苦痛ととらえ、その痛みを学習している。生き物が感じる痛みは、どれほどのものかを測ることはできないが、人間は自分自身が受けた痛みと生き物が感じるであろう痛みに対して同調するため、「かわいそうだ」と感じる。私は家畜と魚に対する感情移入の仕方が異なるように思えた。これにはどのような違いがあるのか。生き物を生きたまま食べることは、なぜ人道的ではないのか。
   最終発表では、生き物を生きたまま食べることが特に批判される理由や、非人道的や残酷と思う、人の感情について、これまでの動物福祉の変化や他国の食文化から考察していきたい。

台湾の駅弁文化
~駅弁で台湾一周の旅~

   「異国情緒のなかにどこか懐かしさと安心感を憶える、人情味にあふれる島」私が台湾の魅力を一言で表すとしたら、この言葉がぴったりだ。台湾は、これまで歴史的に多くの異なる国の支配を受けながら発展してきた。生物多様性と文化多様性を兼ね備える台湾は、古くから世界中の様々な飲食文化が持ち込まれてきたことで、変容・創造を繰り返しながら多元的で複雑な文化を形成してきた。
   そのなかで、我が国日本が1895~1945年の50年間にわたり台湾を植民地支配していた過去がある。この「日本統治時代」には、多くの日本の技術や文化が持ち込まれ、台湾の近代化に大きな影響を及ぼした。そのひとつとして日本は、現在の「台湾鉄道」を創設し、北部と南部を繋ぐ縦貫鉄道を敷設した。その際に鉄道と共に日本の「駅弁」が伝わった。台湾の駅弁は、日本が第二次世界大戦に敗れ、台湾から撤退した後も発展を続け、やがて台湾の駅弁の“定番”「排骨弁当」が誕生した。
   その他にも、各地に特色あるご当地駅弁や新たなニーズに応える駅弁も誕生した。そして2015年からは、台湾全土の駅弁が一堂に会する「駅弁フェスティバル」も年一回開催されている。日本の食文化である駅弁が、台湾に移入されて独自に進化を遂げ、台湾の食文化の一つとして定着している。
   日本において駅弁とは、その内容や値段に関わらず、“ケ”の“弁当”とは一線を画す非日常の“ハレ”の食事であり、鉄道での移動時間が短縮され身の周りに娯楽があふれる現在も、駅弁の価値は今も昔も変わらないと私は考える。
   長く“多文化共生社会”のなかで生き延びてきた台湾の人々が今日まで築いてきた食文化と、日本の伝統的な食文化である「駅弁」がどのように融合していったのか。そして、現在の台湾の人々にとって駅弁とはどのような存在であると言えるのか。本研究では、台湾の駅弁文化を様々な視点から探求することで、その歴史を紐解き、現在の姿、そして駅弁の存在意義や価値を考察する。

知育菓子の魅力に迫る

   私は小学生の頃、「ねるねるねるね」や「おえかきグミランド」、「なるなるグミの実」など、楽しく遊び感覚で作れる知育菓子をとても魅力に感じていた。付属として付いていた粉を混ぜると色が変わったり味が変化するなど、見た目でも楽しめる知育菓子が大好きでした。そこで、幼い頃の私が何故、これら知育菓子に魅了されていたの探究したいと思い、知育菓子を研究テーマに取り上げることにした。
   中間発表までは、知育菓子の定義や歴史、商品のバリエーションについて調査した。「知育」とは、思考力や記憶力といった知的能力であり、株式会社クラシエフーズが「遊びながら学べる」というコンセプトで開発した商品で、株式会社クラシエフーズによって商標登録されている。梱包された粉に水を加え混ぜると、色や形、香りが変化し、作る過程を楽しめるのが特徴である。
   また、知育菓子の歴史をたどれば、株式会社クラシエフーズは1980年に粉末飲料から出発し、1986年に知育菓子の「ねるねるねるね」を発売した。これがヒットしたことで知育菓子の知名度が高まった。現在は、グミやゼリー 、弁当や寿司のような食べ物を再現できる商品など、さまざまなシリーズが展開されている。 私も「つくろう!おべんとう」や「グミつれた 」、「大人のねるねるねるね」など、実際に5種類の知育菓子を作ってみた。現在の知育菓子は難易度が異なる商品展開がされているため、大人でも達成感や充実感を得られるよう工夫されていたことが分かった。
   最終発表では、知育菓子を開発製造している株式会社クラシエフーズが行っている教育活動や海外展開などの取り組み、 知育菓子に関する意識調査の結果などを紹介する。また、他社の類似商品との比較、知育菓子に対する日本と海外の意識の違い、SNSに見る知育菓子についての購買意欲、さらに知育菓子の販売場所に関する市場調査も報告する。
   この研究によって知育菓子の魅力がより多くの人に伝わり、知育菓子に興味を持って購入のきっかけとなったら嬉しい。

なぜレトロ喫茶に惹かれるのか

   私は喫茶店を利用する際、どこに行くかをSNSで検索するが、無意識のうちにレトロな雰囲気の喫茶店を選択していることが多いと気づいた。自分はレトロな喫茶店の何に惹かれているのか。こうしたレトロな喫茶店は、初めて訪れた喫茶店でも居心地がいいと感じる。その要因を研究のテーマとした。「レトロ」という言葉は「過去に遡って、回顧の」を意味する「レトロスペクティブ」の略であり、レトロブームについて言及した先行研究では、若者たちは安心感があるものに魅力を感じていると指摘されている。
   中間発表では、喫茶店の歴史を振り返り、レトロ喫茶店ブームのきっかけや、フィードワークを通してレトロ喫茶店の共通点を見つけ出した。そして、「照明」に着目して喫茶店の比較検討を行った。「喫茶店黄金時代」とされている1960年頃から店内は10ルックス以上でなければ営業することができないと法律で規制されたことがわかった。また、実際に喫茶店を訪れて照度を測定してみると、多くの喫茶店では、リラックス効果や幸福感を向上させる「夕日」と同じ色温度であることがわかった。これらのことから喫茶店は「落ち着く」「居心地がいい」と感じるのではないだろうかと考察した。
   しかし、20歳から24歳の同世代の中でも「喫茶店は入店しにくい」と感じる人も少なくないことを発表会コメントから知った。入りにくい人がいるという要因を探るため、同世代の男女数名にインタビューを行うと、同世代の中でもイメージギャップがあることがわかった。このギャップを理解した上で、レトロ喫茶店以外の喫茶店やカフェとの違いに注目してフィードワークを行うと、利用客層や利用の用途が大きく異なっていることが判明した。
   最終発表会では、私が訪れた喫茶店を中心に初心者でも入店しやすいおすすめの「喫茶店マップ」を作成するつもりである。同世代の中で、喫茶店は入りにくいとのイメージギャップを解消し、喫茶店の魅力を多くの人に広めていきたい。

コーヒーと食品のフードペアリングを追究する

   コーヒーを飲むときに、何を一緒に食べるか、コーヒーに何を合わせるか。その答えはいくつあるだろうか。これまで、様々な種類のコーヒーや、いろいろな食品が存在する中で、浅煎りには酸味のある食品が合うなど特定のコーヒーと食品のペアリングが推奨される理由や、一般的に言われていない食品はどんなコーヒーにどんなフードペアリングが提案されているかを探ってきた。コーヒーは、同じ種類(原産国)の豆を使用しても、生豆を焙煎する段階などの加工工程が違うと完成品にも違いが出てくる。また同じ焙煎豆を使用してもドリップ時の湯を注ぐ勢いや高さなどの些細な変化で味や風味は変化する。このように、コーヒーの味わいはとても繊細なのだ。だからこそ、様々な食品とのペアリングの可能性を秘めていると私は考える。中間発表には異なる焙煎度合いによって変化する、コーヒーと食品のペアリングについて一般的に合うとされている組み合わせや、コーヒーの風味を表現する際に使う言葉の意味など、コーヒーとのペアリングをする際に必要になってくる基本的な知識について発表した。また実際に珍しいペアリングを提案しているお店や、コーヒーのイベントに参加して深めた知識を紹介した。中間以降は、ペアリングについてさらなる深掘りをしてきた。食品が持つ原子の香りを意味する揮発性化合物であるアロマ分子からペアリングを研究する文献を読み、コーヒーが嫌いな人にも提案できるペアリングのヒントを探ることができた。また、新たにペアリングを提案する店に足を運び、店主のペアリングに対する意図や思いを聞いたり、コーヒーイベントに参加することでコーヒーとのフードペアリングを更に追究した。これまでの研究を通じてコーヒーと食品をペアリングする際には、「食品を選択するだけでなくコーヒーの焙煎度合いや豆の種類、抽出方法などを選択することで無限に広がるペアリングの可能性を追求できる」という理解に到達し、これを踏まえて、実際にペアリングを体験してみることでより相互に引き立て合う組み合わせの私が感じる良さを追究してきた。しかし、どのペアリングが一番正しいのか、どれが一番おいしいのか、答えはないというのが探究した先の答えであった。ペアリングの優劣はコーヒーを飲む個人もコーヒーを売る店主もどちらが判断してもいいし、良いと思う感性は人それぞれであるからこそ一つひとつのペアリングに個性が出る。絶対的な正解がない、曖昧で奥の深いこの研究を通じて、皆さん一人ひとりがペアリングの可能性や答えを探す指標になってくれると嬉しい。

フードフェスの展開

   皆さんは、飲食関係のイベントに参加したことはありますか? 一年中、様々なイベントが開催されています。私自身、イベント会場や広告を見掛けるたび、ワクワクして引きつけられます。こうした食をテーマとするイベントがいつ始まったのか、始まったきっかけや目的、実際にどのようなイベントが開催されているのか、どのように企画・運営されているのかを知りたいと思いました。開催されるイベントの情報をもとに食イベントの分類を行いました。「フェス」「フェア」「マルシェ」「物産展」などの名称が用いられています。それぞれに意味や開催規模が異なっていました。なかでも、広い会場ならではの空間演出、海外の多様な食文化を扱う傾向のある「フードフェス」を中心に研究を進めることにしました。
   「フードフェス」という言葉は、音楽の「ロックフェスティバル」が先行したようです。音楽のフェスは丸一日開催される場合が多いため、フードの販売が伴うようになり、その飲食販売のみが独立したイベントとして開催され、食イベントが成立したのではないかと考えられます。
   イベントはどのように開催されるのでしょうか。企画・準備・運営・振り返りの段階で最も重要であるのは、企画だとされています。計画を立てる中で予算や当日のスケジュールなど運営に必要な情報を詳細にしておくことで、準備や当日の運営が円滑に進むからです。この企画・運営は、主催者側が企業に依頼している場合もあります。フードフェスを企画・運営している企業を調べると、フードフェス以外に、スポーツや音楽などのイベントも運営している場合が多いと分かりました。
   実際にフードフェスで参与観察したところ、イベントに合った会場づくりや季節性などに気づきました。会場に行かないと体験できないワークショップや限定グッズの販売、感じることができない雰囲気がフードフェスにはあると考えます。なにより、複数の飲食店が一堂に集結することで、色々な種類の料理を一度に食べられる、これがフードフェスの醍醐味ではないでしょうか。今後は、フードフェスの新たな楽しみ方を模索したいと思います。また、フードフェスの「混んでいる」「高い」などの課題や失敗事例を知り理解を深めたいです。私の発表を聴いて、少しでも多くの人がフードフェスに興味を持つ、参加するきっかけになれば嬉しいです。