向後千里ゼミ■特任教授
富士山信仰と巡礼食との関係
御師料理の保存と継承に向けて
歴史が好きな私は、信仰と食事との関係を研究したいと考えた。特に中世から多くの人の注目を集め、信仰登拝の山として歴史が長い日本一の高さを誇る富士山は、今も昔も日本の誇り、象徴である。その富士山に登ることや、御師料理を食すことは、日本人にとってはもちろん、日本を訪れる外国人にとっても貴重な体験である。 しかし、有名な観光地である富士山周辺で、なぜか御師料理が取り上げられていない。このことに疑問を持った。観光と食は切り離せるものではなく、御師料理が、なぜ世の中に知られていないのか不思議に感じ、日本の食文化のひとつとして御師料理を広めることに意義を求め、御師料理を継承していくための活動につなげていきたいと考えている。
現在、御師についての文献や記事、メディアでの特集は数多く見受けられるが、御師料理に焦点を当てた先行研究や情報は少なく、向後千里特任教授およびそのゼミ生が関わるものがほとんどである。それらの研究成果をもとに少しでも多くの人に御師料理を周知できる活動はないかと考え、研究を進めている。
まずは信仰ということで調べたところ、江戸時代から造られているという富士塚にたどり着いた。富士塚は富士山に登るのと同じご利益を得られるということから、富士山に行ったつもりになった人々がこぞって富士塚を作り登った築山である。多くの富士塚があったとされ、現在も残されており、私もその1つに実際に行ってみた。富士塚の数からも、いかに富士山の人気が高かったのかがわかる。全国に分布しているのか、御師や御師料理との関わりがあるのかなど、文献や実際に富士塚に足を運び調査をおこなっている。
また、御師の家をCAFÉ BARとして営業する計画や登拝の食を提供する計画も進んでおり、御師料理を実際に提供できるようになることが、間近になってきている。これまでの研究や活動の成果を今期の食環境WSで発表し、歴史観光ツアーなどもおこないたいと考えている。ぜひ、私の考える御師の家の店舗デザインや、ドリンクメニューを求め富士山へいってもらい、この楽しさ、ロマンをみなと分かち合えるようにしたい。
現在、御師についての文献や記事、メディアでの特集は数多く見受けられるが、御師料理に焦点を当てた先行研究や情報は少なく、向後千里特任教授およびそのゼミ生が関わるものがほとんどである。それらの研究成果をもとに少しでも多くの人に御師料理を周知できる活動はないかと考え、研究を進めている。
まずは信仰ということで調べたところ、江戸時代から造られているという富士塚にたどり着いた。富士塚は富士山に登るのと同じご利益を得られるということから、富士山に行ったつもりになった人々がこぞって富士塚を作り登った築山である。多くの富士塚があったとされ、現在も残されており、私もその1つに実際に行ってみた。富士塚の数からも、いかに富士山の人気が高かったのかがわかる。全国に分布しているのか、御師や御師料理との関わりがあるのかなど、文献や実際に富士塚に足を運び調査をおこなっている。
また、御師の家をCAFÉ BARとして営業する計画や登拝の食を提供する計画も進んでおり、御師料理を実際に提供できるようになることが、間近になってきている。これまでの研究や活動の成果を今期の食環境WSで発表し、歴史観光ツアーなどもおこないたいと考えている。ぜひ、私の考える御師の家の店舗デザインや、ドリンクメニューを求め富士山へいってもらい、この楽しさ、ロマンをみなと分かち合えるようにしたい。
有田焼からみる御師の食文化
御師料理の保存と継承に向けて
向後ゼミに入り、食環境ワークショップを白金でおこなったことやゼミの先輩の美濃焼に関する研究にふれ、日本の焼きものに俄然興味が湧いた。食事をするときに欠かせない食具は、料理の衣装であり、使用している器の種類や製法の多さは洋服にも匹敵する。きっかけは料理雑誌やファッション誌である。日頃から雑誌を読むことが好きで、中でも季節やお店の特集テーマに合わせた統一感のある華やかでおしゃれなテーブルコーディネートに魅力を感じていたからだ。テーブルコーディネートのテーマや料理構成に合った器選びをするために、器に関することについて研究することにした。また、器が生産された時代や地域、国、使用用途によって素材や柄、形が違うことにも興味を持った。そして、ゼミ全体の研究テーマの一つである富士山北口の御師料理について学び、富士吉田市の御師の家では、富士山を信仰している人々の集まりである富士講の人々に、登拝の食事と富士太々神楽などの神事の際に食事を提供してきたことを学んだ。御師料理は御師の文化を示す特徴の一つであることを知った。また、御師が提供する食事に使われた器は、富士講から寄贈されたものが多く、膳や器などにその富士講の名前が書かれているものと、書かれていないものがあるため、その違いについて調べる必要があることや各講社によって使用する器が決まっていたことを聞き、御師の蔵にある器の分析を行うこととした。御師料理には漆に加え、有田焼の器が使われていたことが判明しているが、山梨県近県の岐阜県の美濃焼や石川県の九谷焼ではなく、なぜ御師料理に佐賀県の有田焼の器が使用されていたのか疑問に感じた。本当に御師で使用されていたのは有田焼なのだろうか?江戸から明治期の焼き物の流通を調べ、その疑問にこたえることを研究テーマとした。
魚の流通経路を追う
御師料理の保存と継承に向けて
海のない山梨県には新鮮な魚がどこから届いていたのでしょうか。本ゼミでは共同研究として、山梨県富士吉田市に伝わる御師料理の保存と継承を掲げています。内陸県への流通経路としては海に面している県から運ばれてきていると考えられるため、隣接している静岡県や神奈川県からの経路を仮説に立て、先行研究をもとに本研究を進めていきました。先行研究では御師の家に残されていた請求書に記載のある、静岡県沼津市の漁港で水揚げされている魚を仕入れていた可能性が高いと考えられています。カツオやなまり、マグロといった食材を追及するために、同県の焼津市で魚の加工についての調査をおこないました。焼津はカツオのなまり節が特産品であり、明治時代の頃の食べ方などが明らかになれば御師料理に繋がっていくのではないかと考えたからです。
また流通については市場や道の駅についての文献調査をおこない、明治以前から現代までの交通の変化について調査することで理解を深めていきました。 食の流通において交通は欠かせない手段です。現代では陸路をはじめ空路も発達し、世界中から様々な食材や品物が届いています。流通の技術はさらに発展し、海産物においても全国から新鮮な状態で届くほどに技術は発達しています。しかし、今のように交通が発展していない時代には、海産物は内陸県にどのように運ばれていたのだろうかという疑問が生まれました。山梨県富士吉田市ではマグロをはじめとした魚介類を用いた料理が多く、御師料理にも多くの魚種が用いられています。本研究では海産物が海のない内陸県に届くまで、どのような技術と知識を用いて新鮮さを保っていたのかという点に焦点を当て、文献調査を中心に研究をおこないました。研究を通して魚と流通の面から御師料理との新たな繋がりを見つけることを目標に探求し、御師文化の保存と継承に向けて追及していきます。
また流通については市場や道の駅についての文献調査をおこない、明治以前から現代までの交通の変化について調査することで理解を深めていきました。 食の流通において交通は欠かせない手段です。現代では陸路をはじめ空路も発達し、世界中から様々な食材や品物が届いています。流通の技術はさらに発展し、海産物においても全国から新鮮な状態で届くほどに技術は発達しています。しかし、今のように交通が発展していない時代には、海産物は内陸県にどのように運ばれていたのだろうかという疑問が生まれました。山梨県富士吉田市ではマグロをはじめとした魚介類を用いた料理が多く、御師料理にも多くの魚種が用いられています。本研究では海産物が海のない内陸県に届くまで、どのような技術と知識を用いて新鮮さを保っていたのかという点に焦点を当て、文献調査を中心に研究をおこないました。研究を通して魚と流通の面から御師料理との新たな繋がりを見つけることを目標に探求し、御師文化の保存と継承に向けて追及していきます。
巡礼食と地元食との食文化の比較から
御師料理の保存と継承に向けて
ゼミ全体で御師料理の研究をしています。その中でも御師料理の特徴、他の料理との違いについて興味を持ちました。山梨県富士吉田市に伝わる御師料理は、富士山信仰に深く根ざした食文化であり、富士登拝を行う巡礼者に対して提供されるおもてなしの料理です。御師たちは、巡礼者を迎え入れる際に、信仰に基づいた特別な料理を振る舞い、富士山への崇拝を地域独自の文化として残してきました。本研究の目的は、この御師料理を単なる郷土料理ではなく、巡礼者へのおもてなしの料理として認識されるよう、周辺地域における食文化と比較し、その違いを明らかにすることです。
本研究では、御師料理と山梨県周辺地域の食生活を比較し、それぞれの食文化がどのようにして形成されてきたか、その背景にある社会的・宗教的要素を探求します。まず、戦前の食生活を農文協が出版している聞き書き食生活全集を通じて、山梨県周辺の県との食生活の違いを分析しました。主食と主菜の朝昼晩を集計し、栄養や食材の種類についても分析します。さらに、戦前と現代における食生活の変遷についても考察し、戦後の生活様式の変化が、地域の食文化にどのような影響を与えたのかを考察します。例えば、家庭内での調理時間の短縮や、食生活の欧米化といった要因が栄養バランスに与えた影響により、伝統的な料理法の変化が起こったことなどを探り、変わらない要素と変化した要素の両方を分析したいと考えています。この分析を通じて、戦前と戦後の食文化の変化を明確にし、それぞれの時代における伝統的な食文化の重要性を探ります。
本研究は地域の伝統的な食文化である御師料理と周辺地域の食文化との共通点と相違点を明らかにし、その保存・継承に向けた基盤作りを目指します。これにより、富士山信仰に基づく食文化が持つ文化的意義や、地域社会における食文化の役割について、より深い理解を促進したいと考えています。
本研究では、御師料理と山梨県周辺地域の食生活を比較し、それぞれの食文化がどのようにして形成されてきたか、その背景にある社会的・宗教的要素を探求します。まず、戦前の食生活を農文協が出版している聞き書き食生活全集を通じて、山梨県周辺の県との食生活の違いを分析しました。主食と主菜の朝昼晩を集計し、栄養や食材の種類についても分析します。さらに、戦前と現代における食生活の変遷についても考察し、戦後の生活様式の変化が、地域の食文化にどのような影響を与えたのかを考察します。例えば、家庭内での調理時間の短縮や、食生活の欧米化といった要因が栄養バランスに与えた影響により、伝統的な料理法の変化が起こったことなどを探り、変わらない要素と変化した要素の両方を分析したいと考えています。この分析を通じて、戦前と戦後の食文化の変化を明確にし、それぞれの時代における伝統的な食文化の重要性を探ります。
本研究は地域の伝統的な食文化である御師料理と周辺地域の食文化との共通点と相違点を明らかにし、その保存・継承に向けた基盤作りを目指します。これにより、富士山信仰に基づく食文化が持つ文化的意義や、地域社会における食文化の役割について、より深い理解を促進したいと考えています。
属人器とお米の文化に見る日本食文化
皆さんは属人器というものを知っているでしょうか。私の研究は日本食にかかせない主食のお米、そして属人器から日本食文化の保存と継承に役立てる何かを発見することです。きっかけは授業で日本には属人器という箸やお茶碗など、自分専用の食器をもつ珍しい文化があることを知り、これが食事にどんな影響を与えているかに関心を持ったことに始まります。日本の食文化はその豊かな伝統と整った栄養バランスで世界的に評価されています。しかし、近年食のグローバル化と洋食化にともない、国内の食嗜好や食卓の風景にも大きな変化が見られています。例えば主食であるお米の需要量です。1996年から1997年にかけて約950万トンであった主食用米の需要量は、2019年から2020年には約700万トンとなり、減少の一途をたどっています。皆さんの家庭においても焼き魚、味噌汁、ご飯といったような定番の日本食が毎回食卓に並ぶことは少ないのではないでしょうか。朝がパンなら昼食は麺類などといったように、毎食ご飯ではなく1日の中でさまざまな種類の食事を取り入れられることが多いでしょう。
中間発表では、ECサイトを用いてお米関連商品の調査を行いました。Amazonをプラットフォームに、白ご飯やおにぎり、雑炊、米粉製品などをリサーチし、それらを「和・洋・中」に分類しました。調査の結果、和の食材、調味が全体の多くを占めていることがわかりましたが、ECの一部に限った調査であるため、現代の食生活の実態とはいえず、EC消費者の嗜好の一部を垣間見ることが出来たに過ぎないと考えています。そこで、属人器に関する調査をおこない、自分専用の箸や茶碗、汁椀、主菜皿など、材質、形状、柄、色、サイズ、そしてご飯の量などの調査をし、分析を進めています。今回の調査で、現代の女子大生の食生態の実態が少しでも理解ができればと考えています。和だけでなく洋食器も属人器として使用されている可能性があることや各人の食事のスタイル、様式がどのようなものなのかなど、食環境の分野から食文化に迫りたいと考え、検討を進めていきます。この調査を通じて、日本の属人器において何らかの新たな視点を得ることが出来れば、新たな器の世界が広がるのではないかと考えています。
中間発表では、ECサイトを用いてお米関連商品の調査を行いました。Amazonをプラットフォームに、白ご飯やおにぎり、雑炊、米粉製品などをリサーチし、それらを「和・洋・中」に分類しました。調査の結果、和の食材、調味が全体の多くを占めていることがわかりましたが、ECの一部に限った調査であるため、現代の食生活の実態とはいえず、EC消費者の嗜好の一部を垣間見ることが出来たに過ぎないと考えています。そこで、属人器に関する調査をおこない、自分専用の箸や茶碗、汁椀、主菜皿など、材質、形状、柄、色、サイズ、そしてご飯の量などの調査をし、分析を進めています。今回の調査で、現代の女子大生の食生態の実態が少しでも理解ができればと考えています。和だけでなく洋食器も属人器として使用されている可能性があることや各人の食事のスタイル、様式がどのようなものなのかなど、食環境の分野から食文化に迫りたいと考え、検討を進めていきます。この調査を通じて、日本の属人器において何らかの新たな視点を得ることが出来れば、新たな器の世界が広がるのではないかと考えています。