令和4年度 食文化栄養学実習

平野覚堂ゼミ■ビジュアル・コミュニケーション研究室


くもりのない料理

昨日の晩御飯は何を見て食べただろう。テレビに夢中だったわけではないし、目を瞑って食べてもない。しかし食事中に材料や調味料の組み合わせに目を向けながら食べることがどのくらいあるだろうか。見ているようで見えていない。まるで曇ったメガネをかけているようだ。なぜいつの間にかくもったメガネをかけるようになってしまったのだろう。それは食事が接触頻度が高く、習慣化し溶け込みすぎたからだと考えた。食が身近な存在ゆえの盲点だ。そこでこの状態をゲームというイベント性をもって脱するきっかけを作ることを試みる。くもったメガネをとりはらって今日の晩御飯を見に行こう。

香る食べものと料理
おいしさは香りから、香りを想像すると作りたくなる

香り、味、食感は食べ物にあるおいしさの要素です。ここで重要なことは、これらに関わる感覚器が「おいしさ」をどのように受容して感じているかです。中でも「香り」は、鼻腔内の嗅上皮にある嗅細胞受容体に空気中に漂う「香り分子」が入りこみ、その情報を脳に送ります。一方、香りで料理をおいしくするために、同じ香り分子をもつ食材を組み合わることが知られています。これらのことから「香り分子」の組み合わせを設計することにより、新しく、意外性のある香りのおいしさに出会えると考えています。そこで、食べものにある香りの相性を知って、新しいおいしさを見つけられる内容の本を制作中です。

大人の嬉び(あそび)食べ

「遊び食べ」についてどのようなイメージを持っていますか? マナーが悪い、周りを汚したりして、大人を困らせる、といったネガティブなイメージを持っている人がいるのではないでしょうか。しかし、子どもは様々なことを、遊び食べという名の『実験』を通して学びます。ただ、一般的な遊び食べには、食べ物を無駄にしたり、粗末に扱う行為が含まれます。そこでこの研究では、食べ物を大切に思いながら、大人も子供の時のような『実験』感覚を取り戻せる「嬉び(あそび)食べ」のレシピブックを制作します。美味しく食べるまでの間の新たな食の楽しみ方を提案します。

元はどんな形かな?

みなさんも調味料や加工食品をみて、どんなものから出来ているのかを考えたことがあると思います。分からないものを想像するのは楽しいですよね。想像はこれまでの経験から構築されていることがわかりました。そこで経験の少ない小学校1年生向けに、もとの姿が分からない食品を題材に仕掛け絵本を作成しています。現在までは「トマトケチャップの中身を知ること」を題材にした物語を作成してきました。みなさんはトマトケチャップが何から出来ているかわかりますか。ケチャップの蓋を開けて、注ぎ口を覗くとトマトさんたちがそのヒントを教えてくれるかもしれません。

常設 味わう「たべあと」展

食後のお皿に残ったソース、フォークで掬えなかった小さな野菜の欠片。本来は料理として食べられるはずだったそれら「たべあと」は、一般的にはただの汚れとして認識されている。しかし、数秒前まで自分が食べていた料理の一部が、ある瞬間を境に「汚れたもの」に変化してしまうのは不思議なことではないだろうか。そこで、「たべあと」をただの汚れと認識するよりも先に、料理と同等の価値や楽しみ方、異なる見方を発見することができないか、と考えた。そのひとつの方法として、絵や写真を通し、日常のどんな食事にも存在する「たべあと」の新しい視点を模索する。

かたよらせないデザイン

私はアルバイトをしていた際、耳の聞こえないお客様がドライブスルーを使えなかった事に違和感を覚えました。このように、健常者が使う前提でデザインされていると、障害や能力によっては使えない状況が生まれます。その原因は、お互いの当たり前を想像しきれないからだと考えました。例えば、音が聞こえる人は意識せずとも音を頼りに行動しますが、聞こえない場合は欠けた情報を視覚から補う必要があります。聞こえない人がいると分かっていても、その状況を実感するのは相手を知ろうとしてからです。そこで私は聞こえないお客と聞こえる店員の対話を映像で表現し、当たり前を見直す仕組みを作ります。

材料の決まっていないレシピの本。

レシピを見る時あなたは何を考えますか。現状、レシピには自由がありません。何から何まで指定され、読み手は従うことを強要されます。人々はレシピに従うことに慣れていて、再現できそうになければ作ること自体を諦める人もいるでしょう。このままではいつまでたっても自分で料理を考える力が身につきません。冷蔵庫に食材を余らせてしまったり、いつも同じ食材ばかり買っているそこのあなた。材料なんてなんでもいい。使える調理器具や、やりたい調理方法から何を作るか考えてみてください。食材を使いこなし、自由に料理する。この本はそのヒントになるはずです。

わくわく!ぼっち飯国

“食事は誰かと一緒に食べた方が美味しい”“ひとりで食べるなんて寂しそう”という言葉をよく耳にする。そのたびに私は違和感を覚える。ひとりで食べるのも楽しい。ひとりだから、自分のペースで食べられる。食事に集中できる。好きなものを食べられる。値段を気にせず食べられる。このように、いいことづくしである。正々堂々ひとりで楽しく食事ができないものかと考えた。そこで私は、ぼっち飯国を建国した。ぼっち飯国を通して、ぼっち飯の新たな楽しみ方を見出すとともに、ぼっち飯をしている人への見方を変えていく。わくわくするぼっち飯!そこのあなたも、ぼっち飯国の国民になってみませんか?

潰れた食べ物に価値はないのか
─見ているようで見ていない食べ物の姿─

床、もしくは地面に食べ物が落ちていたとする。それを見た大抵の人は嫌悪感を示し、ゴミとして廃棄してしまうだろう。だが、ここで一つの疑問が生じる。食べられる価値を失った途端、その物の価値は本当になくなってしまうのであろうか。そうではないと私は考える。この主張をする上で、鍵となるのが、イタリアの解剖学者ブージア・ロッシである。彼もまた、潰れた食べ物の価値について研究をしていた。今回、彼が残した資料を踏まえて、潰れたアイスクリームの標本を作成した。既存の先入観を少しでも弱め、潰れた食べ物と向き合うことができれば、新たな価値を見つけられるのではないかと考えている。